ちゃっちゃー、たったー、ちゃっちゃー、たったー

工学の研究で得たものは10年、長くて50年後には利用価値が生まれるだろう。
理学の探究で得たものは50年、長くて100年後には利用価値が生まれるだろう。
哲学の探究で得たものは100年、長くて500年後には利用価値が生まれるだろう。

『ある/ない』『無限/有限』『複数/単数』『必然/偶然』
これらの言葉は両立することがない。
ここに命題「時間には始まりがあるのだろうか?」がある。
この命題に対しての答えは『始まりがある/始まりがない』のどちらかだ。
A.始まりがある
 始まりがないとしよう。するとどの時間点からしても無限の時間が過去に流れていたと言うことになる。
 では、なぜ未だ宇宙の温度は一定ではないのだろうか?
 この現象は時間が恐ろしくかかるとは言え有限な時間で起こる現象である。
 有限な時間で起こるはずの現象が過去に流れた無限の時間で起こっていないのはおかしい。
 だから始まりがある。
A.始まりがない
 始まりがあるとしよう。
 しかし時間が始まる前に時間が始まる要因があるとは考えれない。
 だから始まりがない。
おかしなことに『ある/ない』が両立する。
そうなると論理的や合理的と言われるものの存在意義は怪しい。
こういったものはアンチノミーといわれる事象であり、他に空間、質、因果がある。
部屋の本棚には小中学生の頃に買った時間や空間に関する物理学の本が並んでいる。
最近は時間や空間に対する解釈が哲学的な方向に向かっているが
どちらにしろ、これらに対する興味は尽きない。

東のエデンのレビューまだ書いてないな。
といいながらPomeraの方にはレビューのデータがあるんだが移すのめんどくさい。
簡単に書こう。
ついでにネタバレある程度含むので東のエデンを見た方だけ読んでください。
ブログ閲覧者自体少ないのは確かだが、一応閲覧している人もいるようであり、尚且つ東のエデンは見ても損がないと言える作品だからである。
さて、スタート。
本質的なストーリーは青年(主人公)と少女(大学生)の信頼関係を描いたものだ。
映画と違い何時間もあるアニメやドラマは何個ものストーリーが多次元的に絡み合っているものが多い。
だから人によってメインストーリーが何であるかは違う可能性がそれなりにある。
僕は信頼関係が主軸だと感じた。
アニメーションクオリティーと展開速度も良かったし、信頼関係に対する演出、表現は良く出来ていたと思う。
難点を挙げるとすれば主人公の心情を一部、僕は把握できなかった点だろう。
具体的に言えば、記憶を消した理由が弱い。
疲れた。とかならまだしも、辛いから。というにはあまりにも弱い理由だったと思う。
信頼関係を語るにあたって用いた表向きのストーリー自体にも信頼を用いたかったため無理なストーリーに仕上がってしまったんだと思うんだが
宮崎駿がこんなことを言っていた。
「この絵はダメだ!自分が描ける絵を描いてるだけだ。絵を自分の枠に収めてはいけない。描くべきものを描くんだ」
設定とかの発想は面白かったけどね。
まぁ良作。

と、ね。
こういう「見てない方は読まないで」とかね。
親切半分だろうけど、こういうの見ると苛立つね。
投稿者に苛立つのもあるけど、どっちかっていうと自分に苛立つよね。
「見てねー。なんでこの作品に対するレビューとか書くんだよタイミングわりーなー。あー見る暇がー」
という自分に対する苛立ち。
見る気がなかったら少し勿体無い気持ちを一時的に持ちながら読んで、すぐ忘れるんだけど。

次見る作品は『精霊の守り人』の予定。
東のエデン、攻殻機動隊と同じ監督である神山健治が監督した作品。
この人のはなかなか面白い!
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# by xtu_ltu9981 | 2009-12-02 12:51 | 徒然なる希望と絶望

ちゃららーちゃららたららー

「最近のサッカー選手で注目してるのはいるかな?」
「たくさんいるけど、若い世代に注目してるかな。その中で一人を挙げるなら、一緒にプレイしたこともあるリベリだね。彼はまるで子供のようにプレイするんだ。理屈でプレイするんじゃなくて感性でプレイをしてるんだよ。良い選手というのは感性でプレイするものさ。これからリベリの名前は何度も聞くことになるだろうね」
「逆に」中田はジダンの話に頷きながら言った。「そういった選手、そういった感性を得るにはやっぱり生まれ持った才能なのかな?それとも日々の練習かな?」
「両方だね。才能はなくてはいけない。才能があるならその才能を使うために練習しなければならない。私は才能にも恵まれたけど、現役時代はたくさん練習したよ」
この議題をもっと深く話し合って欲しいと僕は思った。
確かに理屈でプレイする選手は良い選手とはいえないだろう。遭遇する場面で毎回理屈というフィルターに通していたらトレースが遅くなるからだ。
感性は法則だ。こういう状況ならこう動く、というのを元から得ているのだ。だから理屈と違って摩擦による劣化がない。
しかし、その感性でのプレイも理屈でプレイするより劣ってしまう可能性がある。
だから理想的な感性を手に入れなければならない。その感性はどうやって得るのか。
それは練習であり、その練習で何を得るのかが才能なのだ。
まず才能という土台があり、その上に練習がある。そしてやっと感性という法則を得る。
理屈とは才能、練習、感性を繋げる一種の言葉のマジックでしかない。

「最近のサッカーは僕たちが現役の頃と比べて変化してるよね。スピードが速くなったし、組織力を重視したり・・・そこをどう思う?」中田はジダンに目を向けた。
「確かに、今のサッカーはテクニックよりスピードやフィジカルを重視してる。ピッチから消えた役割もいくつかある。例えば10番と言うポジションも今は消えかかってる。私にとって10番は試合を作るポジションだけど、最近の10番もテクニックよりフィジカルを重視してる傾向がある。私が今現役だったらとても苦労するだろうね」ジダンは悪戯に笑い、中田は微笑みながら首を振る。
「スピードと体力が重視されがちになって外から見たサッカーの面白味ってのが減ったと僕は思うんだけど、どうかな?」
「面白味が減ったとは思わない。だけどこれからも10番やテクニカルなプレイヤーは守っていくべきだと思うね。なぜなら私が見たいのは美しいサッカーなんだ。攻撃だけじゃなくて守備でもね。それは皆同じ考えだと思う」
サッカーファンがサッカーを見ていて良かったと思えるのはどういったときだろうか。
歓喜なる勝利だろうか。
物理法則など存在しないようにボールを扱う華麗なテクニックだろうか。
一瞬にしてその場からいなくなる圧倒的なスピードだろうか。
何事にも動じずプレイする強靭なフィジカルだろうか。
隙間などどこにも見えない完璧に統率された組織力だろうか。
ここに挙げたものに共感を得る人は多いだろう。
応援するチームが勝てば嬉しいし、圧倒的な個人技を見たら興奮するし、統率された組織力を見れば唖然とする。
今、サッカーは変わろうとしているのだと思う。
個人技は今も昔も関係なく高められただろうが、組織力はコミュニケーションや味方の状況、相手の状況、戦術の動向など膨大な情報量がないと強固にはできない。
それが最近のネットワーク技術によって克服され、組織力を高めることができる時代になった。
だから今は組織力を高めることが流行になっているのだろう。
組織には組織力を維持する体力が必要だし、組織力を高めるスピードも必要だ。
しかし、だからと言ってテクニックを最低限に留めておくことは良くないことだと思う。
いずれはどのチームも素晴らしい組織力を手に入れるだろう。そうなると必要になってくるのは最低限のテクニックを凌駕する素晴らしいテクニックとなるのだ。
『美しいサッカー』とはフェアであり、尚且つ華麗で圧倒的で強靭でカオスでフラクタルなものだと僕は考える。
どれか一つ欠けるだけでサッカーはつまらなくなる。だから欠けることがない。
僕はジダンのプレイを見て何度も鳥肌が立ったことを覚えている。
そのプレイがサッカーで不必要なものなら、それは僕が知っているサッカーとは違うものだ。



中田、ジダン対談
http://www.youtube.com/watch?v=ebSnH8vFBrY
http://www.youtube.com/watch?v=qimC9XLEwf4
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# by xtu_ltu9981 | 2009-11-25 11:48 | 徒然なる希望と絶望

たーらたらたーらたー

僕が犬を見て、僕はその犬を猫だと思うだろうか。
思うこともあるだろう。
それが間違いだと誰が断定できるだろうか。
僕がアレを猫だと思い、その他大勢の人間はアレを犬だと思った。
ならばアレは犬なのだろうか。
どうも神は死んだようだ。

Darker than black-黒の契約者-を見た。
契約者の思考における性質がどういったものなのかをもっと説明しても良かったと思う。
契約者という超能力者のようなのが何人か出てくるのだが、彼らは合理性に富んだ冷酷な人の形をした生物だと作中で語られる。
だが、どれだけ冷酷で合理的に動こうとしたとしても、決断をするならばどこか方向性がなければおかしい。
その矛盾を表現し切れていない感がある。
自身の命を守る。というのが根本な方向性なのかもしれないが、作中に出てくる契約者は自身の命以外を守ったり、何かを望んだりしていたのだ。
一応、この作品を見ながら出てきたその矛盾を解決する案は何個かあることはある。
最も共感できた解決案だけを載せる。
「心を込めてピアノを弾くことと、心を込めたようにピアノを弾くことは違う。心と形は違うからね。けどまず形から入るのも悪くない。形ができれば後から心も着いて来ることもある」「意味もなく微笑んだら、つられて嬉しくなることもあるだろ?」
何個か思い浮かぶ解決案が多次元的に合わさったものが作中の結果とみなすべきなのかもしれない。
とは言っても、根底としては契約者も一般人と同じとして扱うべきだと僕は考える。
僕自身が人の思考に合理性、もしくは論理性が欠けることなどあるはずがない。と思っているため契約者の定義が僕の中ではどうやっても曖昧になるのは仕方ないのかもしれない。
心とはとてもシンプルだ。いつも現状と未来を天秤にかけ、未来が現状になることを考える。
考えた結果をどう捉えるか、それは各々の求めるものの差異によるものだ。
だから何かを決断するにあたっては必ず各々の方向性が示されていないといけない。
まぁこの作品の中で出てくる契約者の定義としての可能性は何個かある。
スタッフがその定義を曖昧なまま進めている可能性。
合理性で冷酷な~ってのは作中の一般人の観測であって、作中における超越的には何ら一般人と代わらない可能性。
ま、なかなか詳細なロジックを提示してくれなかった作品だ。
アニメーションクオリティーも良かったし、音楽も悪くなかった。
展開スピードの計算を少し間違えたかもしれないとも思うが、この作品が持つこのストーリーに対する解釈は曖昧ながらも雰囲気が楽しめた。
ついでに今期のアニメで2期をやっている。
それも楽しみである。

「アニメ作るのは時間かかるわー」僕の知り合いにアニメクリエイターっぽいのがいる。
「けどアニメって描いた後ダメだと思えば描き直せばいいし便利ですよね」
「え?」
「映画なんかだと、例えば建物が気に入らなかったらもっかい高いお金出して作り直すじゃないですか。それがアニメだと楽だなーと」
「それはアニメクリエイターに対する侮辱やぞ」
アニメクリエイターが絵1枚に対する思いと映画のクリエイターが建物一つに対する思いは性質も大きさも同じなのだろう。
そして、僕が言いたかったことは「思い」ではなく「お金」である。
こういった仕事を抱えたときにこの両者は基本的に激突する。
精密に精巧にしようとすればお金がかかり、お金を抑えれば精密さと精巧さは落ちていく。
思いとお金では、重視したくなるのは思いだろうなぁ。

さてー、次は何見るかな。
攻殻機動隊の監督が最近監督した東のエデンでも見るかな。
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ついでに言えば点の数はちょうど1000個である。
嘘やけど。多分。
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# by xtu_ltu9981 | 2009-11-23 13:33 | 徒然なる希望と絶望

ちゃらちゃらたららーたらーらぁーら

地球には、未だ届いていない星の光がある。
来年、明日、もしくは1時間後にやっと見える星もあるのだ。
なぜその光は未だ地球に届いていないのだろうか。
なぜ今は今であり、今は未だ過去ではないのであろうか。
それは時間に始まりがあるからだ。
では時間の始まる前は一体どういう世界が存在したのだろうか。
この時間軸とは違う時間軸があったのかもしれない。いやそれ以前に時間などないのかもしれない。
縦、横、高さ、こんな軸もないかもしれない。
そんな世界を想像することができない。
この世は知らないことばかりでその内の一部を知ったと認識したに過ぎない。
空間や時間というのは私の認識を可能にする方法として在るのであってその方法を抜きに認識できるものなどない。
認識外の世界に触れようとするのは可笑しいことだろうか。

内田勘太郎のライブを見に行ってきた。
数回このブログでも書いたが、解散した憂歌団というバンドでメインギタリストを勤めていた人である。
しかし僕自身ライブに行こうと思うことなど少なく、勘太郎のライブは今回が初めてだった。
少し早めにライブハウスについた僕は一番前の席を確保しつつツレを待つことにした。
だがツレは現れなかった。
ツレとは彼女や一緒に聴きたい友人でもないし、元々このライブは自分だけでも行きたかったから来なくてもショックはない。ツレが来なくて問題だったことは一番前の席に僕が一人で座ることになったことだ。
一番前の席といえばそれなりに競争率が激しく、ついでに言えばテーブル付の席というものも数が限られていて、当然ながら最前列の席はテーブル付である。
そこに一人で座ることになった僕はちょっとした背徳を感じながらライブを見ることになった。
勘太郎はステージに上がると、軽く挨拶をして演奏を始めた。
そのとき僕は真剣に席を移動しようか悩んだ。
背徳感があったから、というのもあるが、それはこの悩みの1割にも満たないだろう。
9割以上は勘太郎の左手が見えないことに起因する。楽譜のせいで勘太郎の左手が見えないのだ。
音楽とは聴覚的に楽しむものだ。
だがライブは演奏者の表情や演奏技術を視覚的にも楽しむべきものでもあると僕は思う。
特にソロギターの演奏はその要素が高いだろう。
その楽しみが楽譜のせいでなくなったのである。僕はこの演奏が終わったら移動することにした。
演奏が終わり席を立とうとすると、勘太郎が楽譜置きに手をかけ高さを低くし僕に目を合わせて微笑んだのである。もしかしたらあの微笑こそニヒルな微笑みだったのかもしれない。
僕は嬉しさから舌を噛んで笑みをこぼした。
勘太郎の素晴らしい演奏を視覚的にも楽しむことができ、すぐに2時間ほどが過ぎてライブは終了した。
ライブが終了すると勘太郎はCDや記念タオルを売ってるカウンターに行き購入客と会話をしたりサインをし始めた。
小さなライブハウスで客の数も少ない。タオルなんかを買えばサインはもらえるし数分間勘太郎の話も聞けるだろう。楽譜を下げたのは僕のためですか?なんていうネタもある。
考えはすぐにまとまって、足早にライブハウスを出て、近くのバーに行くことにした。

Pomeraを買った。
キーボードには違和感を感じるが、すぐ慣れる範囲だろう。
値段ももう少し落とせるだろうが、対抗馬がいないし落ちないだろうなぁ。
ここらを除けば満足。
こういったものが欲しかった僕としてはとても便利だ。

アポロの歌という作品を読んだ。
手塚治虫が性について描いた作品である。
一文で内容を表すと、愛に無視され続けられた少年が愛を体験し愛を尊みはじめる姿を追った作品である。
愛に無視され続けるとは、愛を知っているが愛を感じたことがない、ということだ。
愛の本質を直接語る形ではなく、何個かの愛の行く末を語ることで愛を読者に見せるという形を取っている。
そういった作品は感傷深くはなりやすいが、登場人物がころころ代わるため感情移入ができない作品が多い。
だがこの作品に関しては、主人公を統一化できる工夫がされているために悪い点が出てこない。
人は元来、生きようとしてきた。だから生き残っているのだ。
生きようとしなかった生物はすでに全てと言っていいほど息絶えていることだろう。
そして生き残る手段として受精があり、セックスがあり、愛があるのだ。
手塚治虫は最後をこう締めくくっている。
「自然は・・・男と女をつくりわけ・・・男と女はみずからの子孫のためにむすばれ生みつづける・・・胎児-それは男と女の、オスとメスとの誠実な愛のしるしである。誠実な愛がなければ人類の歴史はつづかなかっただろう」
「男と女と、生まれるものは、世界のつづくかぎり、無限のドラマをくりかえすだろう。きょうも、また、あしたも・・・」

手塚治虫は本当に素晴らしい作品が多い。
これを読んだのはバイト先で手塚治虫の特集コミックが出てたからである。
バイト中に読んでいたんだが、この特集にはアポロの歌以外の作品も載っていて、どれも素晴らしい出来だった。
他に手塚治虫で読んだことがあるのはWW2時代を描いた『アドルフに告ぐ』という作品がある。
僕は手塚治虫と言えばアトムとかそういったヒーローものしかないものだと思っていたのだが
この考えをその作品によって吹き飛ばされたのを覚えている。
もし読む機会を作れるのなら、手塚作品を読んでみることをお薦めします。
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# by xtu_ltu9981 | 2009-11-18 21:30

たらんたったら、たったーたららららーたら

バッジョ、ジダン、ストイコビッチ、ジーコ、ルイ・コスタ、中田etc
僕が好きな選手は大体セカンドトップ~トップ下である。
攻撃を組み立てる選手はカッコイイ。
しかし上で挙げた選手たちは引退した。
歳を取って衰えたのだ。
中田が日本代表になり始めた頃、皆は「これから日本代表でプレイする中田が楽しみだ」と言った。
その中田はすでに引退し、プレイを見ることがなくなった。
ジダンのプレイを見た僕は「こんな選手がこの世にいるのか」と思った。
もう、その頃のジダンはこの世にいない。
セリエなどの試合を日本ではまだ見れなかった時代にバッジョの噂を聞いた僕は「見てみたい!」と思った。
今となっては未来に期待するのではなく、過去を探すことしかできないのだ。
時間の流れに乗るものは全て流れに応じて変化する。
身体や精神という人の変化と同様、金属は酸化するし、石は風や水に削られ小さくなっていくし、大きな話をすれば宇宙の温度は徐々に均一化している。
当然だ。
そういう風に理はできている。
そして、この世は恐ろしいほど理に適っている。
またあの中田を見たいと思っても、もう見れないのだ。

このブログのコンセプトだが、これは後々考えていこうかと思う。
別に急ぐことでもなければ重要なことでもない。
コンセプトが見つかるまでは5~10行程度の文章を段々に織り交ぜた
数ヶ月前のスタイルで基本的には行こうと思う。
そして一般的にはここで「これからもよろしく」的なのを書くのだろうが
このブログは見てもらおうという意思を持っていない。
まぁこういった洞察できるところからコンセプトを組み立てていきたいと思う。

最近アニメを見ていない。
だから何かないだろうか、と探してみた。
『DARKER THAN BLACK -黒の契約者-』
そして、これを見つけた。
まだ1話も見てないけど評価が微妙に高い。
周りの評価は目安になるからこういうときに重宝する。
ついでに何かお薦め作品があったら教えてください。
薦められたら心の奥隅にでも置いておいて、後で元気があれば見ます。

一番上で書いたことを思ったのは、歴代のベストイレブンを決めてみよう。
という不毛な話があったからである。
ついでに僕が考えるベストイレブンを記す!
と言いたいが、なかなか決められない。
あの選手は実際このポジションも出来るんじゃないだろうか?あの選手とこの選手が一緒にプレイすると機能しないんじゃないだろうか?と考えてしまう。
だからそういった可能性をあまり考慮しなくて済むように、その人が実際プレイしていたポジションをそのまま継続させてベストイレブンを決めようと思う。
FW/ロナウド、バッジョ
FWに関して言えば僕はこの二人以外に考えられない。
MF/ジダン、ジェラード、ベッカム、ダーヴィッツ
うん、まぁこんなチーム見てみたいもんだ。
DF/カンナヴァーロ、マルディーニ、ネスタ、ロベカル
イタリアのサッカー文化にはDFを重要視する点があるのだと思う。
日本はこれからMFが育ってくるだろう。ジーコ、ストイコビッチやレオナルドみたいなスーパースターを見て育ち、彼らに憧れてサッカーをしたからだ。
そうして育ったのは中田、小野、稲本といった日本のスターであり、次に出てくる選手は中田たちを見て育ち、また良いMFが現れるのだ。
イタリアではこれがDFだったのだろう。
ま、イタリアはどのポジションも素晴らしい選手ばかりといえばそうなんだが。
GK/カーン
日本人はカーンを選んでしまうと思う。
・・・まーしかしあれだな。この選手たちはすごいな。
考えるだけでワクワクする。
そして結果は不毛なのだ。

とこんなことを書いてニコニコを見てみると、ストイコビッチ監督なにやってんすか。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm8579557
さすがです><
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# by xtu_ltu9981 | 2009-10-24 16:18 | 徒然なる希望と絶望

だらあだらららー

書きたくないわけではないし、ネタがないわけでもない。
何度かこのブログのために文章を書いたが、どれもデリートした。
このブログのコンセプトをもう一度見直すべきかのかもしれない。



まぁ、暇つぶしに僕が最近「良いな」と思ったこと。

・iPod最新CM
http://www.youtube.com/watch?v=yAu2SoDQVD0
色使いやカットのタイミングなんかが新鮮。
日本の文化では作れないだろうな、と感じた。
もちろんだが、日本の文化でしか作れないものもある、と書いておく。

・pomera
http://www.kingjim.co.jp/pomera/
とても欲しい。
1万ならそっこー買ってたが・・・価格は大体15~18kのようだ。
僕は悩んでます。

・Ryuichi Sakamoto: Playing The Piano 2009 Japan
http://www.commmonsmart.com/detail/?Goods=392&Color=0
龍一の曲を聴いていると哲学を聴いているような感覚に陥ってしまうことがある。
一般的な曲は新たに何かを生み出そうとする創造物であろうとするのだが
龍一の曲は自身の解釈を書き尽そう、表現し尽そうとしているように感じる。
それは思考や考察ではなく哲学する方法でもある私を洞察することに似ている。だから好きなのかもしれない。

・宇佐美貴史
http://www.youtube.com/watch?v=GiyPW3XssqM
17歳のサッカー選手。
2006年から同世代の国際大会で得点王やMVPを幾度も取り52試合で48ゴール40~50アシストというゲームみたいな選手。
それだけの結果を残していたら将来は安泰だ。とも思ってしまいたいが、17歳では選手としてまだまだ判らない。
だったらまだまだ期待するしかないだろう。

・琥珀エビス
http://www.yebisubar.jp/kohaku/index.html
期間限定のエビスビール。
後味が深く、食事、つまみ、話し相手がなくても楽しいお酒。

・Talisker
http://www.talisker.jp/
ハイランド・モルト。
芳ばしい香りと軽くスパイシーな口当たり、後味にも芳ばしい香りが漂う。
少し刺激的なウイスキーとして有名で、僕はとても好きだ。

・ヘルシアウォーター
http://www.kao.co.jp/healthya/water/index.html
最近ジーンズがきついです。
一着4万するジーンズもあるので着れなくなったら悲しい。
だから痩せようと思います。
そんな僕にとってヘルシアは頼りになる味方です。

・地元
一眼レフとカメラバッグを下げて地元を散歩した。
新しく撮ろうとしてるショートムービーの撮影地を探すためだったのだが、地元にこんなところがあったとは思わなかった。
c0099403_7471514.jpg





ところで、僕はこのブログで何を得ることができるのだろうか。
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# by xtu_ltu9981 | 2009-10-20 08:33 | 徒然なる希望と絶望

たらったらー

先日の日本対ガーナ戦を僕はテレビで見ていた。
オランダ戦は残念ながら諸事情で前半しか見ることができなかったのだが、良かった印象がある。
後から聞いた話だと、前半は良かったらしい。
球離れは早く、テンポのいいパスワークが印象的だったが、そのせいで全体的な消耗が大きいのだろう。
消耗すれば良いパフォーマンスは見せれなくても仕方がない。
もしこの戦い方を継続するなら交代選手をどう使うかが重要になってきそうだ。
ガーナ戦は、ゴールキーパーに僕が嫌いな都筑を使っているのが気に食わなかった。
都筑は元々ガンバのキーパーで、キーパーとしはかなり巧い方だと思う。だが、あの生意気で憎たらしい顔は好きになれない。
まぁそんなことはどうでもいい。
日本はいつも通り早いパスワークで攻撃に向かうのだが、ラストパスの精度が悪いし、シュート圏内に入ってシュートを撃っても入る気がしない。
なぜだろう。
トルシエ、ジーコ時代は何かをやってくれるかもしれない。と思える選手がいた。
中田なんかがその代表的選手だと思う。
中田がボールを受けると敵の選手は恐れか焦りか、それとも僕がそう思っただけなのか、動きが鈍くなった。だが中田の動きはいつもリラックスしていた。焦りなど見えない。だからボールが取られる気配がなかった。味方の選手は中田にボールが周ると何かをやってくれるんじゃないかという期待を持ち、その期待からFWは裏を探し、サイドハーフは走る準備をし、近くの選手は細かいパスに注意した。
そんなスターがいないチームは見てて、どこか物足りなさを感じてしまう。
スターがチームには必要だと言っているわけではない。ただ物足りないのだ。
実際、ジーコ時代の日本代表に比べれば今の日本代表のほうが強いんじゃないかとも思える。
ジーコ時代といえば、黄金のカルテットと呼ばた中田、小野、稲本、俊介という日本のスターと呼ばれる選手をかき集めたような起用が印象的である。
今の代表にも黄金のカルテットの一員だった中村俊介がいる。
しかし俊介にボールが渡っても、何かが起きそうな気配を僕は感じることができなかった。
もしかしたらこれは、僕のサッカー熱が最も強かったのがトルシエ時代ということもあって、その頃あまり評価されなかった俊介に対する先入観を当時のまま引き継いでいるせいかもしれない。
そんなことを考えているうちに前半が終了した。
スコアは0-1でガーナが勝っている。
PKで点を取られた、といったくらいしか覚えにない。
特に押してるわけでもなく、押されてるわけでもない。
後半は恐らく選手を交代して来ると思っていたから、そこが少し楽しみだった。
しかし岡田監督は選手を変えなかった。
オランダ戦で何を学んだのだろうか、交代選手をうまく使わないとこのサッカースタイルは維持できないとまだ判らないのか。
交代選手が楽しみだったことがあってか、苛立ちを覚えた。
まだかまだかと待ってるうちに2点目を取られ、ついに岡田監督が重い腰上げる。
長谷部に代わって稲本。
このとき「おおおおお!」と叫んだ。
僕にはこの交代がとても嬉しかったのだ。
稲本と言えば、僕がサッカー少年だった頃、最も憧れた選手でもある。
16歳でプロデビューし、そんな若さとは思えないプレイで稲本は僕を魅了していた。
今でも大好きな選手だ。
その稲本もそろそろ30歳。最近では代表戦での出場もなくなり、僕が稲本のプレイを目にすることと言えばYouTubeでハイライトを探したりする時くらいだった。
代表戦を見るときにいつも思っていた。
どうして稲本を出さないのだろう。
稲本は他の日本選手に比べてもフィジカルは強いし、ディフェンスも巧い。長年海外でプレイし続けているという経験と実績がある。
パス精度も他の日本選手と比べて、どこが劣っているのかすら判らない。ロングパスに関して言えば日本代表では稲本が群を抜いていると思う。
まぁ、サッカーとは巧いプレイを求めるものではない。勝てば良い。点を取って、取られなければ良いのだ。ディフェンス力やパス精度というものは、その目的に着くまでの一種の過程に過ぎない。絶対にそういった技術が必要だ、と言うわけではないのだ。
だがそういった観点で見ても、稲本を出さない理由が判らなかった。
そんな中で、この稲本投入である。
本当に嬉しかったのだ。
だが、その直後にディフェンスラインの隙をアフリカの速度で抜かれ、あっさりと3点目を許す。
重かった岡田監督の腰は焦りからか、それとも元からそう決めていたのか本田、玉田を投入する。
そこから日本の動きが変わった。
元からボール支配率は日本が上だったと思うのだが、何かが起こりそうな気配が出始めた。
ガーナの動きが疲労からか、それとも余裕からか、鈍り始めていたのかもしれない。
だが、それでもこの何かが起こりそうな気配というのを最近の日本代表に感じたことがあっただろうか。
稲本は信じられないほど機敏に動いていた。ボールを持っていないときも色々な変化をつけた動きをしていたし、今までの日本では全くと言っていいほど見なかった繋がるロングパスが見え始めた。
本田はいつも良い所にいて、相手を威嚇していた。
選手交代してから日本は変わり始めた。
その交代した選手、玉田が最初にシュートを決める。
これで2-3だ。あと1点で同点。判らなくなってきた。
サッカーとは他のスポーツに比べるととんでもなくロースコアゲームである。1点の重みは重い。
だから点を取られるのはもちろん極力避けたいし、できるだけ点を取っておきたい。
2点差と1点差では天と地ほどの差を感じてしまうのがサッカーなのである。
日本の動きは止まらない。
交代選手が生きている。
立て続けに3点目が入った。
稲本からの完璧なロングパスにヘディングで岡崎が決める。
もし生でガーナ戦を見ていたら僕はどうしたらよかったのだろう。発狂は間違いない。
これで3-3だ。
僕はこれで十分満足だった。
稲本はアシストに限らず、どんなシーンでも素晴らしいパフォーマンスを披露していた。好きな選手が活躍すると嬉しいものだ。
だが、日本はこれで終わらなかった。
遂に4-3と逆転をする。
逆転弾を放ったのは、稲本だ。
もし生でガーナ戦を見ていたら僕はどうなったんだろうか。死んでいたかもしれない。
綺麗なシュートだった。
体勢が崩れながら放ったミドルシュート。
ボールは地面をコロコロと転がっていった。決して威力のあるシュートではない。だが完璧なコースだ。ボールはゴール左隅へとパスをしたように転がっていくと、観客とアナウンサーと解説者は声を荒げて喜びを表現した。
1-3からの4-3という日本代表戦ではまず見ることが出来ない逆転劇で試合は終了した。
僕は日本が逆転勝利を収めたということと、大好きな選手である稲本の活躍がとても嬉しかった。
しかし、最後の3得点は5分以内に起こったことである。
何か、どこか、あっさりしすぎていて、不安を抱く人は多いと思う。
ガーナの動きが何らかの理由で鈍っただけで日本代表が良い動きをしたわけじゃない。という不安だ。
僕もこの不安を持った。
しかし、僕は確かに稲本や本田が入ったときに何かが起こる気配を感じたのだ。
それは稲本という名前に対する高揚感もあれば、プレイを見て日本が有利になっていくのを見た洞察からでもある。
前者はただの先入観だし、後者はガーナの鈍りが起因としてある可能性があるから間違っているのかもしれない。
だけどあの感覚を最近の日本代表に感じたことがあっただろうか。
僕はこのガーナ戦から日本代表が良い方向に進んでいくと思わざる得なかった。
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# by xtu_ltu9981 | 2009-09-13 23:02 | 徒然なる希望と絶望

ちゃららーららー

さて、裁判員制度が導入されてから数ヶ月経ちました。
つい数日前に裁判員制度を使った2回目の裁判が行われたとかなんちゃらを新聞で見た覚えがあります。
数ヶ月も経ってるのにそんなちょっとしかやってないのかー、と裁判に無知な感覚が僕にはあるんですが
とりあえず従来と比較してみましょう。

裁判員制度とは、一部の裁判に国民からランダムで選ばれた数人が裁判の判決に干渉するってことだったかな。
何人だったっけ。
と言うほど無知なわけです。
判決を出すに当たって、従来は法律だけを使っていたのに対し
裁判員制度は法律以外にも国民の意見を強く取り入れよう。というシステムなんだとなんちゃって理解する。

まぁしょうじきこの分だと裁判員制度は良いシステムと言わざる得ない。
一般市民への負担が僅かに増えるのは確かだが、そんなのは些細なこと。
もし裁判員制度を批判するなら他の論点を作らなければならないのだが
さてそこはどこだろうか・・・

僕が最も裁判員制度に対して疑問視するとすれば、法律の在り方である。

さて、皆さん、法律とは何でしょうか。
発生は簡単でしょう。
昔から人(生物、物体)には社会があり、社会があるならルールがありました。
それをできるだけ細かくに言語化したものが法律です。
まぁ法律ってルールですよね。
ここ(国なり、学校なり、会社なり)で生きていくにはこのルールに従ってください。従わない場合は貴方より強い力でルールに従って罰則を与えます。
法律を犯した者の方が強い力なら、それが法律になるわけです。
しかし僕はここで疑問を持ちざる得ない。
法律とはそういう在り方で良いのだろうか。
強い力が少数派という可能性もあるわけです。
元より法律とは強い力や弱い力に関係なく、一つの基準として在るべきではないのか。
法律を変えることが出来る以上、力に関係なく在り続けることは不可能だが
法律とは本来そういう在り方をすべきではないのだろうか。

これは一種の理想である。
しかし法律がそう在るべきなら
法律のみの力で判決が左右されなければならない。
ならば裁判員制度は導入すべきではなかった。と言う反論が可能になる。
理想は理想に過ぎないのだが。

と書きながら十数行前から気づいていることがある。
どう考えても事象を法律のみに照らし合わせることなんてできない。
照らし合わせるのは誰ですか?
裁判官、弁護士、検事など人が絶対携わるわけです。
人が携わるなら少数より多い数から取った平均値の方が安定する。
サイコロを10回振るより100回振った方が、とある目が出る確率が1/6に近くなるのと一緒ですね。
まぁこれは理想の範疇で語るなら、理想に近づけるために法律の専門家だけで判決を出すべきだともいえますが。

しかし実際問題、法律は完璧ではない。
法律を作るのは政治家だが、政治家が法律を作るのは何かと時間がかかる。
政治家を選ぶのは国民だが、国民が政治家を選ぶには何かと時間がかかる。
両方をあわせると世論が法律に反映されるにはとにかく時間がかかるのである。
法律の発生が社会に反映されたルールであるなら
その反映速度は早い方がいい。
じゃあこの裁判員制度はやはり良かったのである。

しかし僕は法律の在るべき姿が社会に反映されたルールとは思っていない。
もし理想の在り方をしているルールがあるとすれば、それは物理法則であるのだが。
人は神の領域に立ち入れてはいない。





ぶっちゃけテキトーに書いた。
読みにくかったらすいません。
意見あったらどうぞ。
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# by xtu_ltu9981 | 2009-08-16 13:58 | 徒然なる希望と絶望

たたたら、たららら、たたたら、たららら

それでも彼は歩き続けた。
どこに向かっているのだろうか。
その先には何もない。
まるでゼンマイ仕掛けの玩具だ。
ゼンマイの巻かれた玩具は、歩くことで初めて価値を見出され
ゼンマイの巻かれた玩具は、勝手に足が動くのだ。
歩くことは意思ではなく、自分を保つための自我である。
傍から見た彼は玩具と変わらない。
だから彼はまだ歩き続けていた。



こういうのが怖いよね。
最初の目的を忘れてしまうってのが。
例えば好きなことをやり続ける場合、好きだからやってるってのが続けば良いんだけどね。
現実的な話で仕事なんかにしたら、好きって力だけじゃダメなときもあるだろうし
そういう時に焦りとか誰かの期待とかそういった重圧を力に変えたりするんだよね。
そういうの嫌だね。
好きなことをやるのが当初の目的だったのに、その好きなことが好きって力だけじゃダメになったとき
僕はその好きなことに依存しすぎてて、その好きなことが僕の力を超えてしまってるような感じがして
ほんと嫌だね。

今、金麦って発泡酒飲んでるんですが
発泡酒だと金麦が一番だと思うんだ。
なんかね。ペプシネクスみたいな感じがするのよ。
ノンカロリーで本来のコーラの味にできるだけ近づけよう。とかそんな考えを止めて
ノンカロリーならノンカロリーでいいじゃない!新しい味作ろうぜ!的な感じがペプシネクスにはあるのね。
そのお陰で中途半端な味になってなくて僕はペプシネクスが好きなんですが
金麦もそんな感じで、後味が本来のビールと違う。
だが、そこがいい。的な。

僕のベクトルは僕の未来なベクトルに向かっている。
僕はその未来なベクトルを今決定する力を持っている。
決定した後、僕は今のベクトルから未来なベクトルに線を引くんだけど
その線の引き方は、それこそ無限大にある。
で、まぁ今のベクトルと未来なベクトルはけっこー離れてて、直線にしてもけっこーな距離がある。
そのけっこーな距離の線を引いてる最中は線しか視野に入らなくて未来なベクトルが見えない。
だからよく未来なベクトルを見失う。
それが困るんだよね。
けど困るどころか、堪らなく嫌なことが他にある。
線を引いてる最中、この線を引き終わるのはどこになるんだろうって疑問に思ってしまうこと。
未来なベクトルがあることを忘れてしまってる。
未来なベクトルまで線を引く目的だったのに、線を引くこと自体が目的になってしまってる。
それが堪らなく嫌だ。
現実に置いて物事は全て演繹的だと僕は思っている。
ここで言うと線を引く行為だね。
けど思惟ってのは現実じゃない。
思惟は現実とか幻とか想定できる全てのものを統覚する機関なんだ。
あくまで思惟は思惟のレベルに関してだけ言えば現実じゃないし、帰納的に存在できるんだよね。
だから僕は未来のベクトルを決定することができる。
僕はこの世の全ては自分の表象だと統覚している。
簡単に言えば、この世の全ては自分のものだと思っている。
だからこの世の全ては自分の好きなように変化させれなければならないと考える。
それを可能にするのは演繹的な力じゃなくて帰納的な力なんだ。
好きな世界を想定して変化させることは帰納だからね。
それなのに自分の未来なベクトルを見失って、てきとーに線を引き続けてたら元も子もないよね。
見失うことが目的だったなら別に良いんだけどさ、そうじゃなかったらただの馬鹿だよね。
まぁ、これはあくまで僕の在ろうとしている在り方だし、そんなものどこにも残らない。
だけど僕だけには僕の足跡がちゃんと見えて、これからも永遠に僕には僕の足跡が見え続ける。
だったら見苦しくない足跡で在って欲しいよね。
ま、見苦しかったら見苦しくない足跡に変えようとすりゃ可能なんだけどもさ。
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# by xtu_ltu9981 | 2009-07-14 15:57 | 徒然なる希望と絶望

たったらたーらたーららーたらー、た、たーらた

人は自分の9割に満足し、残り1割を不満に思う。
だから変化を嫌い、不満が目立つ。
たった1割の不満を取り除くために人が起こす行動とはとても小さいが、たった1割のために生まれた決意は大きいものだ。
もちろん絶対値の話である。



どうやらまたサッカーの大会に出るらしい。
前回は予選優勝したのは良いが、試合後に疲れから吐きそうになるし
本戦はオレだけ遅刻するわ、予選と次元違いのレベルに驚愕するわ、で散々だった。
だが今回はそうも言ってられない!
私は変わったのだ!
今の私はあの頃の私ではない。

聞いて欲しい。
たまに知り合いとボーリングに行くんですが
そのボーリング場はけっこー近い。
そう、近い。
自転車で10分と言ったところだろうか。
そう、その程度。
私はその10分ですら最後の方には息切れしてしまうほど体力がなかったのです。
だが、それは過去の話だ。
私は変わったのだ!
今の私はあの頃の私ではない。



そう、遂に私はタバコをほとんど止めたのです(キリッ
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# by xtu_ltu9981 | 2009-07-11 09:35