ちゃっちゃらたーったたらたらたー

最近、興奮したものを書く。
なぜ書くのかといえば、この興奮に乗じてしまっている、からだ。


・ゲーデル、エッシャー、バッハ あるいは不思議の環
全部読んでないし、まだまだ序盤だけど、興奮せざる得ない。

・ゲーデルは何を証明したのか 数学から超数学へ
ああ、ああ、ああああ、、、メタアアアアアアアア!!!

・YMO(at Greek Theater)
こいつらラッキーすぎ。こんな才能溢れる若者が同じ場所に集うなんてあるもんじゃない。

・黒川きらら
この体つきいいね。だけど瞬間的な興奮で終わりそうとも思うよ。

・アクセサリーショップ
知り合いがアクセサリーショップを趣味でやろうぜ、と言ってきたのだが、微妙に興奮する。



自由とは制約だと言った。
自由という制約を負っている人間は自分が制約を負っているとは感じていない。
その次元を一つ超えて、初めて自由が制約だと認識できるのだ。
人間、、、いや自己とはこういったメタ形式=反省的な事象でしかない。

あーやっばいなぁ。
まだ全然、興奮してるわ。
今の感覚やばい。
もう今が今じゃないことは常に感じてるし、同時に時間が瞬間ってことも常に感じてんもん。
ああ、やばい。
オレ、メタってるわ。
マジ、この言葉流行るやろ。
メタる。
もうこれ、傍観者の必須言語やから覚えとけよ。
よし、メタろ。
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# by xtu_ltu9981 | 2010-04-02 21:17

たらたたーらたらたーららたー

風が流れている。
風がオレの全身を愛撫する。
風ってのは偉大だ。
風が流れるから時間も流れるんだ。
オレは今、両方の流れに愛撫されてんだよなぁ。
ああイっちまいそうだ。

自由とは制約だ。
自由を何の制約もない世界だと考えてはならない。
もしそんな世界があるとすれば、自由すらない。
大衆が求める自由を得るには、自由という制約に縛られなければならない。
大衆が信じる自由とは、自由という制約内でのみ自在に活動できることを言うのだ。

射精の快感も空腹の苛立ちも睡眠の静けさも運動の息切れも流れる汗も勝利の歓喜も浸透する酒も歩く足も持つ手も見る目も聞く耳も生きるための空気も熱も土も水も空も圧力も分子も原子も生きることすらも価値がない。
疑うことも価値がないのに、なにをやってるんだろう、と問いかける。
価値にも価値がないのに、どうしたらいいんだろう、と問いかける。
問いかけるな、オレ。
あるべき姿など、オレは見たくないんだ。

今、初めて気づいた。
オレは落ちてるんだ、と。
スカイダイビングでパラシュートが開かなかった。
ああオレは死ぬんだなと判った。
今まで何度となくスカイダイビングをしたし、その何度となくというところに甘えがあったからこんなミスをしたんだろう。
だけど今はこれはこれで良かったとも思えるんだ。
落ちると言う事実を知っただけで十分の収穫だ。
オレはここから昇ることはできない。
乗っていた飛行機はもう米粒もない。
オレは今、落ちること、しかできない。
どれだけ強く願っても落ちることしかできないんだ。
とてつもなくでっかくて、オレなんかじゃどうしようもない落下だ。
別にオレは、自然は偉大だ、なんてことを語ってるんじゃない。
実際、オレはさっきまで空を飛んでいたんだ。
今地球は病んでいるという比喩があるが、それは人間の力だし、その程度で自然は絶滅するほどにしょぼいんだ。
今気づいたのはそんなことじゃない。
もっと大きな流れ、人間の営みも、自然の崩壊も、地球の公転も、太陽の熱も、銀河の成り立ちも、オレが落下しているということも全部同じだということ。
そうだな、言うなれば物理法則。
皆皆、物理法則に従って動いてる。
物理法則を無視して動くなんてできはしない。
今もこれからも物理法則に支配され続けるんだろうなぁ。
だからこのまま落下して、地面にぶつかって死んで、骨はバキバキに折れて、もしかしたら内臓が口から飛び出るかもしれない、そして葬式が開かれて燃やされて灰になって地面に埋められ、それから何年経つか判らないけど人類は滅びてオレの灰は土になるんだろう。
仕方がないんだ。
そういう風に理はできている。
この世は恐ろしいほど理に適っている。
だから全てを受け入れられるし、地面にぶつかったら痛いだろうなぁ、とも思うのだ。
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# by xtu_ltu9981 | 2010-03-30 11:30 | 徒然なる希望と絶望

たったたーたったーたらたったー

どんなに強い思いを込めて言葉にしても
それはただの言葉だった。
どんなに強い思いを込めて見つめても
それはただの目だった。
どんなに強い思いでも、その思いを伝えると、陳腐になった。
だから僕には語らないことがある。
陳腐になってはいけないものがあるからだ。

自由とは何か。
考えれば考えるほど判らなくなる。
僕の意思決定がもし何の制約もないとすれば、僕は意思決定をできるのだろうか?
あの子を好きになるのは、あの子の顔、スタイル、性格を経験上という外部誘導から意思決定したに過ぎない。
何かを食べたいと思うのは、空腹という身体における外部誘導から意思決定したに過ぎない。
僕の意思決定は外部からの誘導なしに決定することはできないのではないだろうか。
もしそうであったとしたら、裁判の価値が見出せない。
全ての行動が自分の自由意志に置けるものではなく、外部誘導による決定ならば責任の所在が判らない。
アーレントという政治学者はアメリカ革命を大きく評価していたらしい。
その理由は自由という在り方にアメリカ憲法がアーレントからして正しい制定をしていたからだそうだ。
アメリカ憲法の素晴らしいところは憲法があるところであり、憲法の制約内なら何をしても自由ということだ。
アメリカ革命以前の法治国家は憲法という根底となる制約をなしに法律などを決めていた。
だから失敗したのだ、と。
制約のない国家は全体主義に繋がる。
制約のない人間は本能のままに行動し、野生の獣と同じだ、と。
さて、自由とは何だろう。
自由とは制約なのだと思う。
自由という制約の中、限界の内でなら僕たちは自在に行動することが許される。
僕は言葉を使って言葉の限界を超えたことを語りたいと思ったことがある。
だけど、思惟が乗った言葉は全て、陳腐だった。
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# by xtu_ltu9981 | 2010-03-17 15:06 | 徒然なる希望と絶望

ちゃった、ちゃーらったー

・フィギュアスケートにおけるミニマックス戦略と将来性
・ニヒリズムのゲシュテル依存V回避
・徒然なその他(才能、男のゲシュテル、世界平和etc)
いつも通りの記事を何個か用意したが、投稿するにはまだ編集が必要。
しょうじきめんどくさい。
だからまた今度。
もしくはさようなら。



FEZSNSにてキャラ誕生日の祝いメッセージをくれたA氏に対する返答メッセージ。
『お、誕生日かぁ・・・リアルの誕生日っていつだっけかな・・・

FEを始めて3年・・・
色々な人と出会い、FEを楽しんだ。
その色々な人の中でもとりわけ面白かったやつと言えばAだろう。
彼女は、そう・・・まず女の子なのだ!
素晴らしいね。うん。

女の子というものは基本的に全て素晴らしいわけだが
彼女はとりわけ素晴らしい。
優しさと強さを兼ね揃えていて、セクシーなのだ。
女の子には普段スウェットを穿いてバカみたいに化粧をしたりしなかったりしてセクシーの欠片もないやつがいるが
そんなのでも女の子としての価値を有している。
彼女たちに決定的に足りないのは人としての価値だ。
それを持っているAは素晴らしいを越えて美しい。

僕は目が美しいと自負する。
見て欲しいこの完璧な二重。
そして透き通ったクリアな瞳。
よく見て欲しい。
透き通った瞳には今、君が映っているはずだ。
だから僕の目は美しい。
Aからのメッセージがなければ僕の瞳など何の神秘さも含まなかったことだろう。

僕は美しいものが好きだ。
だからAのことが好きだ。
ついでに言えば今の僕の瞳も好きだ。
僕は、この世が美しいもので溢れていてこの世そのものも美しければいいのに、と幻想すら抱く。
なぜこれが幻想なのか?
僕の瞳はAを捉えなければ美しくはないからだ。
僕はこの瞳を美しいままにしておきたい。
もしそんな我侭を聞いてくれるなら、これからもよろしくお願いします。』

書いてると面白くなってこんな長文になった。
A氏がこの文章を記事にしてもいいか、と言うので、いいよ、と答えるとすぐ記事になった。
次の日、その記事に対するコメント見ると「痛々しい」とか「テンプレだろjk」と、なかなか受けがいい。
中には「美しい」などというコメントもあったが、オレには判らない。
ともあれA氏は喜んでいた。
だからマイナーチェンジして使えば、それなりに受けがいいんじゃないだろうか。
今度使ってみよう。
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# by xtu_ltu9981 | 2010-03-08 15:06

だん、だーだん、だーらぁ、だーらぁ・・・

君は歌が下手だろう。と僕は言う。
彼女は「なんでわかったんですか?」と反応する。
声を聴けばなんとなく判る。君の声は下手そうだ。
彼女は僅かな疑問を含んだ悲しい表情を一瞬見せ、すぐに「えー」とかわいらしく応えた。
だけど、と僕は続けた。きっと君の歌は人を惹き付ける。
「下手だから?」
良い男を知ってるからだ。「あぁ」と彼女は何度か頷いた。

良い女は得をする。
似たようなことを書いている本は多い。
「良い女は得をする」と検索してもそれなりのHit数になるだろう。
村上龍はとある本で「美人は三日で飽きると言うが、それはブスが自殺しないための言葉だ」と書いていた。
まったくもってその通りである。
あれは圧倒的な上下関係すらをも克服しようとした人間理性の幻想だ。
現実のブスは美人が陽を浴びるための陰でしかない。
隣でブスの女が泣いているのと美人が泣いているのでは同じ女なのか疑いたくなるほど意味合いが変わるのだ。
ブスが隣で泣けばこう考える。「どうすればこの女を認識せずに済むだろうか」
美人が隣で泣けばこう考える。「どうしてこんなに絵になるんだろうか」
逆に、隣でブスが笑っているのと美人が笑っているのを考えてみよう。
ブスなら「どうしたらこいつから離れることができるんだろうか」と考える。
美人なら「エッチができるだろうか」と考える。
どうだろう。
女の読者がもしいれば誤解を招くかもしれない。
だから僅かに弁明しておくが、これは男たちの思考法であってオレだけの思考法ではない。
責めるなら男全体を責めてくれ、差別はよくないぞ。
ブスより美人がモテるのは差別や贔屓でもなんでもない。成り行きだ。物理法則なのだ。神の思惑に逆らうことなど出来るはずもないだろう?
だからオレ個人を責めるならオレ個人のアイデンティティーをついてから責めて欲しい。
オレは悲しむだろうけど、受け入れるからさ。
とにかく、良い女は得をするのだ。
良い女の良い女で在るが理由と利点は良い男を知っていることだ。
女は全体的に男より強いと前の記事で書いたが、今言ってる女はもっと強い。
給料日に若い子を金で買うことを楽しみにしてるサラリーマンなんかじゃ到底手など届くはずもない女である。
良い女は良い男を知ってるから良い男とそれ以外の男がどれだけ違うのかを知っている。
男の俺たちには当然かもしれないが、男は圧倒的に差がある。
これはアリにとっては人間の違いが判らないように、女にとっても男の違いが判らないのだと思う。
見た目では判らない。
相手を理解しないと判らないのだ。
その理解を得た女だけが良い男がいることを知って、良い女になるのだ。
だから良い女は顔もいいし、頭もいい。
顔が良くないと良い男は寄り付かないし、頭が良くないと理解ができないからだ。
俺ら男は神の思惑通り良い女に誘われる。
だけど誘われてもエッチできるかどうかは女次第。
男は弱いのだ。
その勃起を治めるために俺たちはリスクを背負って趣味に没頭する。
なんか虚しいな。
まぁ、ループなんだが、だから趣味に没頭するんだ。
でも時にはエッチをさせてもらうしオナニーもする。
そうしないとどうしようもない虚しさがリスクをも覆い尽してしまう。
良い女が得をすると言うのは男の幻想かもしれない。だけど、きっと当たっているだろう。
あー、良い女といちゃいちゃしてーなぁ。
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# by xtu_ltu9981 | 2010-02-23 10:21 | 徒然なる希望と絶望

ららららららららら

女は夢を持たない。
正確には夢を持ってそうにない、だが。
もちろんオレは女でもないのだし、他人の思惟を完璧に把握できるという信念も持っていないから断言はできない。
ついでに人生経験豊富でもないし、女に関しても詳しくない。
だが、何だろう。
女たちは夢を持っていないように感じる。
男にはあるのだ。
睡眠時間を削り、約束に遅刻して、ディベート中にうとうとして、他人からの評価が落ちたとしても、それでも男には叶えたい夢があるのだ。
説教くさくなるのだが、男にも夢がないやつは多い。
そんなやつらは屑である。
生きる価値がない。
かといって死ぬ理由も見当たらない。
ただ本能に惰性で乗って生きているだけだ。
夢を持っているのは10人に2人くらいで、夢を持っているやつらは他人のせいにしないし自分以外に依存したりしない。
厳密に言えば自分の夢は夢であり自分ではないのだから夢に依存する時点で自分以外に依存していることになるのだが、ここでは置いて欲しい。
さてさて、女の中にも夢を持っているやつがいると仮定してそれが10人中1人としよう。
男は10人中2人が夢を持っていることになるのだが、これは大差がない。
比率で言えば1:2だが、まるで攻撃力1のやつに攻撃力が2倍になる魔法を使ってやっているようなもんである。
と言うのは『夢』という単語の意味上における誤謬であり、女の夢と男の夢は根本的に違うのだからこの理論は間違っている。
男はア・ポステリオリ・・・いや捉え方によってはア・プリオリかもしれないが、まぁいい。
男は夢のためなら死んでも良いと勝手に信じている。
女は違う。夢のために女は死んではならない。
戦争を見れば判るだろう。
戦場には男しかいない。
女は戦場に存在しない。
例外はいるが、そんなエラー分子はファシズムや独裁主義が生んだ産物かもしれないし、精神病の一種だと思う。
なぜなら女は死んではならないからだ。
子供を作れる期間が男女ともども16~35歳だとしよう。
すると女は単純計算、20人しか子供を作れないのだ。
それが男はどうだ。
女の数が限りなくいるなら100人だろうと、1000人だろうと子供を作ることが可能だ。
だが、現実的に女の数には限りがある。
女の数が100人だったとすれば2000人の子供が生まれ、その生殖行為に必要な男の数はなんと2~20人程度である。
悲しめ男たち。
現在、男は飽和している。
だから戦争があるし、男は理由があれば死ねるのだ。
女にはそれがない。
女にとってそんな行為は全く必要がないのだ。
なぜなら死んではいけないから。
女は強い。と言うのはそんなところにあるのだと思う。
男が飽和している現状は男にとってどう見てもマイナス要素であり弱みである。
それがない女は、当然男よりポテンシャルは高い。
だから男はその弱みから逃げるため、弱みを隠すため、弱みと戦うためにつまらないプライドを張る必要がある。
そんなつまらないプライドを持たない男は屑の何者でもないというのはそろそろ判ってくれたと思うから省くとする。
はぁ。
男は悲しい。
無駄だと知りながら通さなくてはならない、つまらないプライドがあるからだ。
それが唯一、女に対抗する手段なのだから。
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# by xtu_ltu9981 | 2010-02-16 13:21 | 徒然なる希望と絶望

たらー、たたたらたらったー

とある漫画で敵対する相手から情報を引き出すため
死んだ敵の脳を露出させ、針のような棒で脳を刺し、欲しい情報を手に入れていたシーンがある。
僕はあのシーンが好きだ。
なんというかあれは性的興奮と同じなんだと思う。
脳を刺激してどこまで正確な情報を掴めるかどうかは知らないが、それも現実的な技術の問題であって理論上は可能だろう。
脳を刺激して体をピクピクと動かすことと理論的には一緒なはずだ。
これと似てるのが性欲だ。
女の裸に接したり、自分の性器に刺激が加わったりすれば勃起する。刺激が長引けば射精する。
一つ言っておくが、女の裸は良い女じゃなくてはならない。
ブスだと興奮しないし、吐き気や苛立ちすら覚えてしまう。
この性的興奮と脳を刺激してピクピクすることは一緒だ。
抗えない。
良い女は良い女が持つ絶対的法則で男を興奮させる。
麻薬もそうだ。
麻薬を摂取すると麻薬は脳に影響を及ぼす。
オレは医者ではないから、麻薬が影響を及ぼす方法を知らないが、簡単に言えば脳の一部を刺激する効果があるのだろう。
ホルモンやらドーパミンやらアドレナリンやらオレには何なのかさっぱり判らない何かが分泌するのかもしれないし、麻薬自体にその分泌物と同じ性質が与えられていて、それが感情を左右させる効果を持ったり、はたまた幻覚や幻聴を引き起こす効果があるのだと思う。
これは抗えない。
個人差があるだろうし、麻薬に対する抵抗感などでも大きく効果は変わるだろう。
しかしそれでも、大なり小なり麻薬の効果は現れる。
本能だ。
膝をコツンと叩けば足が上がる。皮膚を引っかけば痛いし血が出る。口に何かを含めばヨダレが出るし、体内に入れば栄養を吸収し残ったものは肛門から出て行く。
麻薬を摂取すること自体や、脳に棒を突っ込まれること自体や、良い女の裸に触れること自体は理性だが、同時に降りかかる身体的変化は本能に違いない。
何が言いたいのかと言うと、オレらは、いや最低でもオレはオレの体とかなり密接な関係を保っている。
理性の力だけではどうにもならないことがオレに及ぶのを知っている。
それは大体、オレの身体の力よるものだ。
オレの本能はこの世の物理法則に乗っ取っているどころか物理法則そのもので、仕方がない、という言葉で全てが片付いてしまうような圧倒的な力を持っている。
だが、この場合、理性とは何だ。
この疑問は正直怖い。
オレの思考はオレが生まれた瞬間、いやいや生まれるもっともっと前から決定されてたことなんじゃないだろうか。
本能と一緒で、これ見たらこう思い、あれを聴いたらこう思う。
ラプラスの悪魔だ。
この世の全てを説明可能な物理法則が発見されたら、これから宇宙がどうなるのかも判るだろうし、当然ながら過去も全てその法則が導ける。
そんなことが可能だとすれば、今のオレや今後のオレまで全てその法則で説明できてしまうじゃないか。
ラプラスの悪魔という言葉はそんな恐怖から来ているのだと思う。全てを説明可能な物理法則は悪魔だ。
誰かはこの反論として神秘的な力が存在すると説いたり、量子論のランダム性を説いたり、不完全性定理の非決定性を説いたりする。
だがそれでもオレは生きてる限り、腹が減ったら飯を食わないことはないし、酒を飲んだら酔わないこともないし、良い女を前にして意識しないということもない。
なんだろうな、別にこんなことを書くつもりじゃなかったのに、最近はどんな内容でも哲学的な方向に向かってしまう。
理性が脳や身体の部分集合だ、とは思えない。
同時にオレの理性が脳や身体を支配しているとも思えない。
これはまた別の問題だと思う。
確かにオレは良い女で興奮するし、麻薬を吸えば快楽へ誘われる。
それと理性はまた別だ。
理性は興奮や快楽を認識するに過ぎないし、興奮や快楽はそこらへんで常日頃から行われている身体における物理法則に他ならない。
理性の発生も理性の働きも物理法則に他ならない。同時に物理法則を捉えるのは理性だ。
ここがおかしい。
前者の物理法則と後者の物理法則では違いがある。
前者は超越的な意味を持ち、後者は観念的な意味だと言えるだろう。
楽しみたいときに、どうやったら楽しいのか、とは考えない。どうやったら楽しめるのか、とオレは考える。
これは理性と身体が乖離していることを示している。
・・・なんだろう。別にこんな専門的な話をしたいわけじゃない。
ああ、なんだろう。
オレは良い女が好きだし、麻薬もタバコも酒も脳みそをぐちゃぐちゃにして理性を支配してしまうような感覚が大好きだ。
そして同時に信じられないほどそれが怖い。
だって理性を支配することは理性より外にいることになるんだ。
制約を超えてこそ始めて本当の快楽を得るというのは本当だが、傍から見ればどれほど危なっかしいことかと思ってしまう。
だから若人は麻薬を吸うし、酒を飲み、女と寝て、睡眠時間を削り、趣味に没頭する。
それが理性を超越する方法だと知っているからだ。
理性は簡単に支配されたりしない。
理性の外にいると言葉にした瞬間それは理性の内にいることを示しているのだ。
あぁー、オレは理性を飛び出して理性を支配して理性の全てを認識したい。
しかしどうも理性は理性で支配することができないらしい。
当然だ。
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# by xtu_ltu9981 | 2010-02-14 08:15 | 徒然なる希望と絶望

たらたらーた、たらーた

何十行の記事を何度もデリートした。
どこか、バカらしかったのだ。

最近は不完全性定理について興味を持っている。
システムSが正常である限りに置いて、システムSで命題Gは決定不可能である。
僕が懐疑する決定方法に置いて、とても重要な資料になり得る。

共有性、共通性、統一性は人類のテーマになり得ると思っている。
これは孤独、個人、自己を知ることと同じである。

プリンキピア、相対性理論、量子論、超ひも理論・・・etc
これらを科学の発展と見るのではなく、科学史家クーンが提唱するパラダイムの概念は正しい。
帰納法を我々は当然のように使用しているが、はて、帰納法は本当に正しいのだろうか。

谷川俊太郎の詩を数個読んだ。
彼の言葉選びは天才だ。
これほどテンポのいい日本語を読んだのは初めてだ。
過去に詩を読んだといえば、ロシアの大文豪プーシキンのみというのもあるかもしれない。
翻訳ものの詩はダメだ。これから海外の詩を読んでみようとする方には注意をしておく。
詩は本物そのものを読まなくては、何の価値もない。

バイトの数を減らした。
本を読む時間を増やしたかったからだ。
予定では今年の夏で一時的に本を読むことがなくなる。
だからそれまでに読むべきものは読んでおこうと思うのだ。

福本伸行先生の短編を5作ほど読んだ。
どれもに鳥肌が立った。




朝、散歩をしていると遠くの方で黒い煙が上がっていた。
火事があったのだろう。
僕はその黒い煙を眺めながら思ったのだ。
あの程度の火事では雨は降らない。
もっと大きな火事ならば煙が水蒸気を拾い雨となる。
そして火は消えるのだ。
だから火ばかりの世界にならなかった。
氷は水より軽い。
氷が水より重ければ海はすでに凍っている。
だから魚がいない世界にならなかった。
人は死を嫌う。
だから人類は生き残っているのだ。
過去の歴史の中で死のうとした生物はすでに息絶えていることだろう。
黒い煙は高くなっていたし、広がっていた。
もう少しで煙は見えなくなるだろう。

あの煙の下で人間が転がっていたことを次の日知った。
その日の散歩で黒い煙を見ることはなかったし、ついでに言えば雨が降っていた。
いつもの曲がり角で世間話をしている主婦がいなかったし、ゲートボールの準備をする老人たちがいなくて挨拶の声が聞こえなかった。
いつもと何も変わらない日だった。
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# by xtu_ltu9981 | 2010-02-03 16:39 | 徒然なる希望と絶望

たらららー、たーらーららー

私に過去の存在を証明することはできない。
ただ、今が在る、という感じの中でしか私は存在し得ない。
当然であるが、未来の存在も証明はできない。

この歳になると社会人として見る社会人に会うことが増える。
社会人自体はネットでそれなりの数を見てきた。
だが僕は彼らをゲームをする知人として見ていただけであって彼らを社会人としては認識していない。
だから社会人として見る社会人に会うことができ始めたのは一種新鮮な感覚である。
彼らに僕は必ず質問することがある。
・なぜその仕事についたのか
・なぜその仕事をまだ続けているのか
この二つである。
仕事の楽しさや苦悩はこの二つの質問で出てくる。
それでいて多少のディティールさも出てくるのだ。
僕はいつもこの質問をするときに、「失礼なんですが、答えたくなければ答えなくてもいいんで」と前置きをする。
現に何人かの人は答えるのをはぐらかしている。
僕はそんな人たちを非難しない。
元よりこれは僕に話す必要がないからだ。
だがそんな一方で熱く語る人もいる。
「僕は好きなことを仕事に選んだ。お金はまだ儲かってないけど、儲かっていく算段は立っている。その算段には苦悩もあるけど、前提が好きなことだからそれでも楽しい」
聞きたいことはまだある。
・これからどうするつもりなのか
・そしてなぜそうしたいのか
この質問は聞きたいだけであって聞いてはいない。
人が行動を起こすときには理由があるものだが、その理由は理屈なのか感性なのか、全て感性で行動できればそれほど高尚なこともないだろう。
そろそろ僕も仕事について考えていかないといけない年齢になってきた。
仕事も感性で続けることができれば良いと思う。

「はやたんはいつも主人公やね」2年ほどお世話になっている美容院で、いつも担当してもらっているKさんがそう言った。
もちろん、はやたん、というのはネットの便宜上でそうしているだけである。
「どういうことですか?」
「なんか、いつも自分が中心で回ってるみたい。別に周りのことを考えてないって意味やないんやけど、いつも自分が主人公で、全てのことがはやたんにとってはやたんのためのストーリーみたいなんよね」
僕は他人の目が気にならない。
僕は僕の理念に従って動いているだけだし、僕の行動を他人がどう思うかなど僕の理念には何ら関係がない。
もし僕の理念が間違っていると思えば意見を出してくれればいい。その意見は考慮する。
だが意見もなしに闇雲に賞賛したり批判するようなのは相手にならない。
僕にとって他人の目は気にする必要がないものなのだ。
自分の徳を実行し続けていれば、いつかは誰かが着いて来るだろう。
逆に、誰かに着いて来てもらう為に誰かの徳を実行するなんてのは馬鹿げた話だ。
こう考える人間は他人からするといつも主人公に見えるのかもしれない。

ああ、そういえばクリスマスだね。うん。ふぅ。で?いやもうさ。バイトも入ってないわけ?判る?・・・・・・・。マジ、何もすること無いわけ。いつも通りなわけ。それなのに周りはノリノリなの。このギャップ。マジ不愉快っていうん?もう少し皆落ち着けよ。騒がしくてオレの読書が捗らないだろ?

「まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている」
こうして『坂の上の雲』は始まった。
原作、司馬遼太郎。
明治維新。
260年続いた幕藩体制が崩れ、日本に近代国家が誕生した。
そのたった37年後に大国ロシアとの戦争、日露戦争での勝利。
国土は狭く、石油もなければ金属も僅かな国が、どんな躍進をしたというのだろうか。
明治維新直後をとある3人の男を軸に展開する。
一人は俳人、正岡子規。一人は子規の友人であり、のちに日露戦争の海戦を勝利に導いた秋山真之。一人は真之の兄であり、真之同様日露戦争にてコサック兵を破った秋山好古。
中でも真之がメインで語られている。
まだ2話しか放送されていないが、素晴らしい出来だ。
原作を読もうか悩んだが、ドラマの出来があまりにも良いので原作を読むとドラマに失礼な気もする。
だから読むのは控えようと思う。
今年5回、来年4回、再来年4回の放送で完結の予定だそうだ。
気の長いドラマである。
しかし、この出来なら文句は言えないだろう。
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# by xtu_ltu9981 | 2009-12-10 16:51 | 徒然なる希望と絶望

たんたーたーらーたらー

私とはこのパソコンではない。
このパソコンは私のパソコンではあるが、私のパソコンであって私ではない。
私とはこの猫ではない。
この猫は我が家の猫ではあるが、私の猫であって私ではない。
私とはこの身体ではない。
この身体は確かに私のものではあるが、私の身体であって私ではない。
このように私とは、~ではないもの、としては正確に言葉にできる。
私は、私とは何か、と問いながらも私とは何かをすでに知りえているのである。
今まで私は私という言葉を使い間違えたことがないと言い切れるであろう。
私はこんな行動を取ったのだろうか。
この疑問は私に対する疑問ではない。私の行動に対する疑問であって私は私を疑ってはいない。
私はこの考えを持っているのだろうか。
この疑問は私に対する疑問ではない。私が持っている考えに対する疑問であって、私は私を疑ってはいない。
私とは何であろうか。
この疑問は私が見る私に対する疑問であって、表象としての私を疑っているわけであり、真に私を疑っているわけではない。
私は私を疑ってはいない。
では、疑問とは何であろうか。
疑問とは表象を作り出す方法である。
私が私を疑っていないのは、疑うという行動自体に私が私を疑っていないことを含むからである。
だから私は私を疑うことがない。
一般人が考える私とは、どこにでもある石やライターやパソコンと同じだ。
一般人が考える私とは、さっき取った行動であり、さっき言った言葉であり、さっき考えた意見であり、さっき感じた痛みであり、さっき得た知識である。
確かにそれは一般人が考える私を作り出す一部であろう。
だが真の私はそこに存在しない。
一般人が考える私とは真の私にとっての表象に過ぎない。
真実を見極めようとするのならば、表象に惑わされてはいけない。
冷静に洞察することが唯一真実に辿り付く方法である。

吾輩は猫である、を読み始めた。
そろそろ読書の季節である。
読書の季節は秋というがあれは嘘だ。
秋は心地がいいから眠くなるし、気温が気持ちいいから外に出たくなる。
それだと読書は捗らない。
冬は寒いから布団に入るし、布団に入っても寒いから寝ることはない。
だから読書が続く。
何より冬はその貧しすぎる陽気が神経を機敏にし、頭を働かす。
本はそういったときに読むに限る。

僕は高校生か20代後半の女性にしか振り向かれないらしい。
年下の子かけっこー年上でなはない19~25歳くらいは対等であろうがするために負い目を感じるか反感を得るかのどちらかになるようである。
と言われたのだが僕はそうとは思っていない。
そこもフォローできなければルパン三世にはなれないのだ。
というかね。僕は22~25がいいの。
絶対領域ってわかるよね。うん。あの良さが判らないやつはいないはずだ。
あの領域を巧く使えるのはある程度熟した22~25がいいわけ。
26以上になり始めると顔の肌が劣化してるし、若い子は脚が細いのと全体的なバランスが若すぎて艶かしさがないわけ。
ついでに言えばまずは顔であり、その後に脚を基準にした全体的なバランスを僕は見るの。
脚を基準にしてるだけであって胸とかのバランスも大事なわけね。
脱がれたときあまりに貧弱だったら顔に出てしまうよね。残念な気持ちが。
まぁBあればいいけど。
僕は現に見たことがないけど、AVなんかで胸が大きい女性って乳首がアンバランスすぎるのがいて吐き気を催すようなことがあるよね。
あんなんに当たってしまうと最悪だね。もう好奇心に任せて、どうしてこうなってしまったんだろう。と考えながらエッチするしかなさそうだよ。
逆に純白で潔白の白い雪のような女の子なんてのも嫌だね。そういうのは触りたいけど触っちゃダメな存在だよ。ベルセルクで言えば転生後のグリフィスみたいな感じかな。そんなのに触っちゃ自分のアイデンティティが壊れちゃいそうで怖いね。
それと僕は性格を全然考慮しない。人は誰しも悩みを抱えてるだろうし、どんな行動にも理由がある。その考えを蔑ろにするなんてナンセンスさ。だから考えが間違ってると感じれば誠心誠意でその考えを正そうとするし、僕の徳というものを示して相手の徳を潰すんだ。それが正しいと思うよ。
だから戦争の発生条件は理解できる。
まぁ戦争もネットワークの進化で絶対減ると思うし、世界は平和に平和へ向かっている。
共通感覚や常識って言われるやつはコミュニケーションとかの情報交換が盛んになればなるほど共有されるものだし、そこが近い将来の平和として向かっている目的になるだろう。
国と国の話じゃなくてもこれは一人と一人の話にも適用する。信頼にはそれなりの理由が必要だ。理由もなしに信頼なんてできはしない。基本的にそれは時間がかかるけど、もしかしたらたった一つの眼差しやたった一言やちょっとした仕草だけでも信頼は得れるかもしれないんだけど、やっぱり時間はかかるものだ。
いつかは言葉は共通になり、国境もなければ差別もなくなるかもしれない。
エネルギー問題が完璧に解決すれば、あらゆる組織が閉鎖的になって鎖国のような状態ばかりで身内でしか交流を取らないかもしれない。
そしていつかは全て滅びるだろう。

思いつくままに書いてみたら、どうしてこうなった状態だ。
最初は女の子の話で最後は平和の話になっている。
これは最早僕にとって平和には女の子が必須と言っているようなものだ。
いやはや、全くもってその通りである。
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# by xtu_ltu9981 | 2009-12-08 15:49 | 徒然なる希望と絶望