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たたらだたたらたたらただらだら

羽生の将棋の一手には質量がある。

バッハの音楽の一音には質量がある。

ゴダールの映画のカットには質量がある。

意味という質量がそこにはある。

僕に質量はない。
だが、僕の行動には質量がある、か?




羽生の将棋は、凄まじい、という言葉が似合う。
もちろんその一言では説明できていないのだけれど、凄まじいのである。
彼の抽象理解は、凄まじい。
何気ない序盤の一手にも凄まじいほどの裏づけがある。
中盤あたりになると他の棋士の追随を許さない。
その奥深さは、読み、というだけに留まらない。
その奥深さを探ると、読み、だけでなく、羽生が今まで何万回と指してきた将棋を垣間見る。
意識的な読みだけではなく、そういった経験から得た無意識の美意識に触れているような感じがするのだ。
もしかしたら少年時代に野原を駆け回った無邪気さまで影響しているのではないか、と思いを馳せてしまう。
それほどまでに羽生の一手には質量がある。
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by xtu_ltu9981 | 2010-07-18 23:22 | 徒然なる希望と絶望

だ、だだだだだだだー、だだだだーだー

欲求に支配されるのは自由ではない。
利益に左右され、欲求に行動を決定されるのはどう見ても不自由だ。
では、理性によって行動を決定した場合は自由と言えるだろうか。
確かに、全ての行動を自分の意思の元で決定しているのなら自由と言えるかもしれない。
だが、所詮その程度だ。
人間とは、どこまでいっても理性に支配される。
人間とは、どこまでいっても自由に支配される。
人間とは、どこまでいっても自分に支配される。
自由とは、規則だ。
そして不自由だ。

何も知らない世界にいきたい。
何も知らないということは、何もない世界だ。
欲求もない。
愛着もない。
美徳もない。
経験もない。
何もないから、何も判断できない。
不自由もないし、自由もない。
そんな世界にいきたい。

私は私から解放されたい。
それは言葉からの解放だろうか?
それは感情からの解放だろうか?
それは常識からの解放だろうか?
それは論理からの解放だろうか?
もしくは、生からの解放だろうか?

何も意識したくないんだ。
それが意識だ。
何も望みたくないんだ。
それが望みだ。
嘘ばかりだ。
最後には無限と矛盾が横たわる。
何も知らない世界。
理解を伴わない世界。
欲求にも理性にも、何の判断にも囚われない。

不安という安心だ。
だからすぐに、新たな支配が訪れる。
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by xtu_ltu9981 | 2010-07-13 15:50 | 徒然なる希望と絶望

だーだー、だーーーー、だらだらだー

選挙権を得てから2回目の選挙だ。
マニフェストを読む限りだと恐らく前回と同じような投票になるだろう。
元より、マニフェストに書いている具体案にはあまり興味がない。
どうしてその具体案が生まれたのか、そこに重点を置く僕は、そんな簡単に支持政党が変わらない。
そして僕の投票は個人に対する投票ではなく、党に対する投票だ。
これは賛否両論あるだろうし、僕も正しいとは思えない。
とりあえず今は党に投票している。

ついでに僕が感じた党の印象。

自民党・・・現実的で曖昧
民主党・・・具体的で張りぼて
共産党・・・理想論
社民党・・・意思のない相対思想
公明党・・・組織票
みんなの党・・・混沌な自由
たちあがれ日本・・・年寄りイノベーション(笑)
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by xtu_ltu9981 | 2010-07-11 10:00

ちゃらー・・・ちゃらららぁ

バイト中に書いた僕の自由観構想メモ。



・行動原理
理性的行動、本能的行動

両者を区別して考える。
だが両者が対極に位置するという訳ではない。
結果だけを見れば同じ行動を取ることもある。
ただ、動機が違うのだ。

理性とは自分の考えである。
本能とはア・プリオリな誰にでも在るものだ。
私というより生物としての性である。
自由は理性によってのみ切り開く。

利益を求めるのは本能だ。
別に利益を求めるのが悪いと言っているのではない。
利益に捉われすぎて、自分の理性を失ってはないだろうか?
自由ではなくなってないだろうか?

自分の考えをどうやって持つか?
重要なのは自分で考えることだ。
自分で考えればよろしい。

結果に問題があったとしても、理由(行動、システム)に問題があるとは限らない。




このブログのテキトーさは素晴らしい。
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by xtu_ltu9981 | 2010-07-07 23:18 | 徒然なる希望と絶望

だぁちゃっちゃー、だぁたったー

「まるで日本を応援してなかったみたいな言い方だな」
「うーん。確かにオランダ戦はオランダを応援するつもりだったけど、やっぱり日本を応援したよ」
「けど君はさっき、日本が負けてくれてよかった、と言ったじゃないか」
「そう。僕が日本を応援してたのはコミュニティとしての性なんだ。僕の本心じゃない」
「やっぱり本当は日本を応援してなかったのか」
「いや、応援してたよ。コミュニティの性としてね。もう一度言うけど、僕は日本代表が嫌いというわけじゃないんだ。日本代表のサッカーが嫌いなんだ」
「よく判らないんだが?」
「そうだな・・・日本は負けるべくして負けたんだ。もし負けるべきなのに勝ってしまったらどう思う?」
「考え方が間違っていたんだろ」
「そうだ。だからそうなると、僕が思っていたサッカーとは違うサッカーになる。日本が勝った場合のサッカーはつまらない」
「けど強いチームが勝つんじゃなくて、勝ったチームが強いんだ、って誰か偉い人が言ってただろ」
「ベッケンバウワーね」
「そうなら考え方を改めるべきなんじゃないか?ただ単に自分の考えを否定されるのが怖いだけなんじゃないか?」
「ほぉ、なかなか鋭いな。君に判りやすいように言ったのだがそれを逆手に取るとは・・・」
「どういうことだ」
「言い方を変えよう。こんな例がある。中田がローマに所属してたときの話だ」
「ほぉ」
「僕はその時ローマを応援してたんだ。監督は現イングランド監督のカペッロで、バティやトッティの個人技に頼るサッカーを展開していた。それでローマは優勝した」
「強かったんだね」
「うん、強かった。その後中田が移籍した瞬間にローマが嫌いになった。その後もローマは強かったけど、嫌いになったんだ」
「それがなんだ?」
「僕が日本代表に抱いてた感情もそうだ。日本というコミュニティにいるから日本を応援してしまうけど、もしそのコミュニティ性がなくなったら僕は絶対日本を応援しないよ。日本は負けるべきだ、と連呼していたはずさ」
「ふむ」
「勝ったチームが強いのは確かだろう。だけどそれは応援する理由にならないさ。僕には好きなサッカーがあって、それは今回のワールドカップで言えばスペインだったりドイツだったりが魅せてくれるけど、そういうチームに勝って欲しいんだ。もし日本が勝ったら僕はコミュニティの性として嬉しいだろうけど、一サッカーファンとしてはとても悲しい。こんなので勝てるスポーツなんて見る価値がない、と思うだろう」
「だから君は日本が負けてホッとしてるのか」
「そう、日本代表を応援したのはコミュニティとしての性だ。逆に日本代表は負けるべきだ、と考えたのは一サッカーファンとしての性だ」
「君の言いたいことがだんだん判って来たぞ。要するに日本のサッカーはつまらないってことだな」
「勝ったチームが強いのは大いに結構。元よりそうあるべきだ。だけどサポーターってのは強いチームを応援するんじゃなくて、勝って欲しいチームを応援するもんだろ。だから日本が勝てば悲しかったに違いないさ。こんなつまらないサッカーが勝つなんて僕のサッカー美学に反するってね。だけど勝って欲しかったのは何でだと思う?」
「さっきから言ってるコミュニティ性じゃないのか?」
「君は賢明だね。そう、コミュニティ性さ。愛国心とかそんなやつさ。僕もそういうものを持ってるんだ」
「だから何?」
「・・・君はそのことを最初に怒ってたんじゃないのか!」
「そうだっけ?」
「・・・はぁ、まぁいいや。ベッケンバウワーと同時代に活躍したクライフは、ワールドカップ優勝と最優秀選手賞ならどっちが欲しいかという質問にこう答えた」
「うん?」
「最優秀選手賞の方が欲しい。ワールドカップの優勝チームは魅力的だとは限らないけど、最優秀選手賞は世界一魅力的な選手に贈られる賞だから。ってね」
「もういいよ、その話はさ。判ったから」
「まぁ聞けって。要するに僕が言いたいことはそういうことなんだ」
「もういいって」
「サッカーファンとしての僕は魅力的なチームに勝って欲しいだけなんだ。その思いには結果なんて関係ないんだよ」



というような話をすでにこのワールドカップ期間中に何回しただろうか。
きっと3~4回程度だろう。
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by xtu_ltu9981 | 2010-07-01 07:47