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たたーん、たたーん、たったー、たったらたー

何か、信じるに値するものがあればいい。
そう思うこともある。
何も、信じないほうがいい。
こう思うこともある。
別に、夢とか信念とかプライドとかポリシーとかに限らない。
例えばだが、ニュートンのプリンキピアでは空間や時間が信じるに値するものであり、空間や時間を絶対的基準として物事を表した。
しかしそれは間違いであることが300年後に判る。アインシュタインは空間や時間は絶対的な基準ではなく、光の速度こそが絶対的な基準なのだと言った。物事は光の速度を基準に変化することを表した。空間や時間も光の速度に従属する。
このように、ニュートン力学や相対性理論(一部)というものはこの根本さえ反論なく受けつさえすれば理解は容易い。科学の場合、基準さえ判れば後は観測のみに頼ればいいのである。決して数論的証明は必要ない。
僕たちは何かを理解するときに、絶対的な基準に依存して理解する。そうしなければ地に足を着かない理解になってしまうからだ。
だから、何かを信じたほうが良いのかもしれない。
しかし同時にニュートン力学の依存先であった絶対空間や時間は間違いであることが判った。要するに、理解するために依存していた基準が間違っていたのだ。依存先が間違っていれば、当然それを基にした理解も間違いである。
だから、何も信じないほうが良いのかもしれない。
最近では、アインシュタインの基準となる光速度不変の法則すら破る観測が近年の量子学で見つかった(量子学は不可解な点が多く、未だ理解には程遠いためアインシュタインの説が間違っているとは一概に言えない。しかし、これまでの理論との矛盾点が量子学において数多く発見されているのも事実である)。
かといって、基準がなければ、物事を理解することはできない。
人間は不思議なものである。
ニュートン力学の過ちを200年以上かけて発見したし、コペルニクスが地動説を唱えるまでは何千年に渡って地球が宇宙の中心だと考えられていた。
時間はかかったが、過ちは正された。もし機械にニュートン力学や天動説を元に思考するプログラミングを与えれば何億年かかろうともその過ちを正すことは出来ないだろう。
僕は思うのだが、信じるに値する基準があったとしても、その基準もやはり何かに依存しなければいけないのではないだろうか。相対性理論は光速度不変の法則を基準とし、光速度不変の法則もまた何かを基準に存在するのではないか。
理解をするのに基準である依存先が必要ならば、基準である依存先にも基準である依存先が必要ではないのか。もしなければ、それは地に足を着かない。
基準の基準の基準の基準の・・・etc
この連鎖に終わりが在るのか、僕には判らない。
もしかしたらどこかで終わるかもしれないし、終わらないかもしれないし、環を描いてループしているのかもしれない。
僕は最後の環を押すが、まだ信じるに値するものではない。
いずれ、信じるに値すると結論付けたとしても、僕は常に自分を疑おうと思う。
僕たちは理解を得るために基準を必要とする。だが歴史が語るようにその基準は間違っている可能性がある。だから基準は信じると同時に疑わなければならない。
常に自分を疑って生きることはとてもシンドイことだし、基準を明確にしなければならないという点でもとても難しい。
だがそうできることが機械との差別化を測る唯一の手だと思う。
自分を疑わない人間は機械と同じだ。
ユダヤ人迫害の実行者と思える重要人物をアーレントはこう観測した。「あの人間は普通だ。ただ上司の命令に従っていただけで、彼自身の思考はどこも悪くない」この観測は当時、大きな問題となった。社会は迫害実行者を悪と決め付けたし、同時に悪と思いたかったのだ。
それは自分が悪になり得る可能性を排除したかったからだ。自分があの実行者のようになるはずがない、という証拠が欲しかったのである。だが実際は、普通だった。我々は常に迫害実行者のような、社会的悪、になる可能性を持っているのである。
普通な人間だった迫害実行者の考えはどこも間違っていなかったが、同時にとても陳腐な人間であった、とアーレントは述べた。それは命令にしか従えない愚かさかを諭したものである。まるで機械のようだ、と。
僕たちは常に自分の在り方や自分の信念を疑わなければならない。
そしてきっと、その思惟はエッシャーの登り続ける階段のように途方もないことに気づくだろう。それでも自分を疑い続け、途方もない階段を常に登らなければならない。
自分を疑うことが、人間と機械の差別化を可能にするのだから。
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by xtu_ltu9981 | 2010-04-25 04:00 | 徒然なる希望と絶望

たったら、たったたらー

・腕時計
腕時計が好きだ。
知性とヴィジュアルをあんなにスマートに表現できるものも少ないだろう。
まず時間の表示という知的な感覚。
それをあんなにコンパクトに収めている。
腕時計を諸都合で買わねばならなかったのだが、そういった楽しさが相まって、10万も出すことになった。
サブ用にもう一つ買おうかと悩み中。

・けいおん!2期
けいおん2期始まりました。
僕が好きだったけいおん!のテンポは少し崩れてしまった印象があるけど、演出は悪くないので期待しよう。
ついでにEDの唯がカッコイイね。EDに限らず唯いいよ。
次はアズサとムギです。その他は替えがきく。

・バイトの新人
「オマエ、マジつまんないな。頭悪いし、顔悪いし、自意識ないし。もっと時間使えよ」
と言ったら次の日辞めた。

・望む恋
君が「好き」だ、この言葉を投げ掛けた当人は疑いすらしないだろう。
その「好き」という感情が本当に『好き』で手に入れたものなのかどうかを。
この「好き」と『好き』は同じ意味を持っていない。
ここに誤謬がおこって、愛の不可知性を助長させる。
ただ、それを理解していたとしても、当人には関係のない話だ。

・知性の限界――不可測性・不確実性・不可知性
『理性の限界』という本で、僕は初めて不完全性定理に触れた。
これは今の僕からすると純粋にラッキーだったことだと感じる。
この続編が出たようだ。それが『知性の限界』。
『理性の限界』は実際内容に乏しかった。深遠な理解を得るには程遠い。
だが本質は逃していなかったし、読みやすい。
『知性の限界』も恐らくそうだろう。
だから僕が知らないような何かがあることを期待する。
ただなぁ・・・ちょっと本のストックが多すぎて消費できるかどうか・・・
なんなんまじ、ホフスタッターさん僕をどうするつもりなん。こんなに束縛しやがって・・・

・ProArte EXP45
ガットギターの弦を張り替えた。
いつもはEJ-45Cという弦にしているが、今回は少し高めのEXP45。
1~3は大して変わらないな、と思ったらどうもEJ-45Cと同じだそうだ。
4~6はけっこー伸びる音だな、と思った。
ただこれは以前使っていた弦が少し古かったことと関係しているかもしれない。
ついでに言えば音が伸びすぎて気持ち悪い。
だから好きじゃないけど、綺麗な音だとは思う。

・iPad
欲しい。
UMTS携帯と組み合わせれば超便利な気がする。
ただ、便利なのは便利だが・・・利用頻度を考えると微妙だ。
外出中にネット、ワードをストレスなく使えるのは強みだが、それだけとも言える。

・村上龍
JOKERというファッション雑誌に村上龍がコラムを書いていたことを先日知った。
たまたまJOKERを手に取る機会があったので、読んでいると「村上龍」と大きく書かれたコラムページがあった。
『すべての男は消耗品である』という本の元となっているコラムのようだ。
村上龍は断定的書き方とテンポのいい文章力でいつも僕を魅了する。断定的といっても強制的という意味ではなく、こちらの思考の追随を待っている。
だからこそなのか、僕だからこそなのかは知らないが、僕は村上龍の感性にとても共感できる。
今回読んだのは、学問的教育と実践的教育に関する軽い考察だった。
内容は軽い考察を出ない域ではあったが、言いたいことは判るし、そこらへんに転がっている屑みたいな文章とは比較にならないほどスリリングだった。
彼の文章を読んでいると、それに感化されて僕も文章を書きたくなることがある。
良いものを見ると、ついマネしたくなるし、手に入れたくなる。

・一言で説明できるものはない
人間の形を決定付けているものは何だろうか。
この体の形から指の形、はたまた内臓の形や脳の形。
一体何がこの「人間」というモノの形を決定付けているのだろう。
恐らく「胴体」という形すら決定付けるものはない。
恐らく「指一本」すら決定付けているものはない。
それならば、どうしてそれらの形は決定されたのだろうか。
答えは、決定などされてはいない、である。
細胞を増やし続け、維持させるために、たまたまその形に収まったのだ。
それは、どの人間という固体もそれぞれの過程でそれぞれの結果に陥ったということだ。
ほとんどの人間がほとんど同じ形をしているのは、本当にたまたまなのだ。
しかし、たまたま、と言う言い方は誤解を招くかもしれない。
人間の形が「結果」だとすると、「結果」が先にあって「結果」求めて細胞が増えていったのではない。
細胞を増やすという過程がすでに一種の『結果』であり、その『結果』の連なりの結果がたまたま「結果」だったのだ。
別に僕は親父ギャグを言いたいわけではない。
ただ僕はこの考えの連なりで、あらゆる物事は一言で説明できるものではない、という結果を感じた。
僕はインターネットをとても支持している。
色々な情報を得ることができるからだ。
しかしこの大量の情報はとても扱いにくく、そのために「判りやすさ」を求めてしまう。
対象Aというものを理解しようとする。
対象Aは様々な情報が積み重なっているモノなのだが、最近は積み重なった結果のみに頼って対象Aを理解しようとするのだ。
それは大きな間違いで、結果のみを見て対象Aを理解することはできない。
大量の情報に人々が踊らされる、という状態は、嘘の情報の氾濫、に留まらない。どちらかと言えば嘘の情報より、様々な情報を消化し切れない現状が生んだ「判りやすさ」を求めるが余りの錯覚の方が人々を躍らせる原因としては強い。
嘘はそこだけをストップさせることが可能だが、錯覚を止めようとすれば社会全体が止まってしまう。
そして「判りやすさ」という錯覚に陥った結果が現在の資本主義などの利益主義なのだ。利益が出ればいいと言うとても単純なシステムで活動している。
決して資本主義や利益主義が悪いと言っているのではない。
ただそれはこういった錯覚の結果としてあって、いつかは馬鹿らしくなるだろう、と推測できる。
しかしまぁ、人間の理解に錯覚ではないものがあるのかといえば、ないわけだが。
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by xtu_ltu9981 | 2010-04-22 06:34

たったたーん、たったたーん

「今は何日かな」帽子屋さんは懐中時計を覗き込む。
「そんな古そうな時計なのに、日にちまでわかるの?」アリスは懐中時計を眺めながら尋ねた。
「なぜ古いとわかる?」帽子屋さんはアリスを見つめる。
「だって、錆びてるんですもの」
「ふん。錆びてるからといって古いとは限らんだろう」帽子屋さんはアリスから目を離し、懐中時計をポケットに入れた。
「古くないの?」アリスは少し腹が立ったが、澄ました振りをした。
「いや古い」
「それだと時間しかわからないでしょうに」
「ふん。古いからといって時間しか判らんとは限らんだろう」帽子屋さんはティーカップを持ち上げた。
「もう!」アリスは腹が立った。「自分の間違いはちゃんと認めたほうがよくてよ!」
帽子屋さんは紅茶を一口飲むと「ふう」と息を吐く。そしてティーカップを置かずにこう言った。「ふん。確かにそうだ。自分の間違いは認めにゃならん」自分の意見が通ったアリスは少し嬉しくなって、帽子屋さんの言葉を待つことにした。「だからオマエは自分の間違いを認めにゃならん」
アリスはこの言葉に驚いて、目を丸くして言った。「その時計は日にちを表してるの?」
「そうだ」帽子屋さんは紅茶をまた一口。
アリスは考えた。嘘かもしれない。「それはごめんなさい。私、間違えちゃったみたい。そんな時計があったのね。珍しいわ。もう一度見せてちょうだい」
「ふん。いいだろう」帽子屋さんはティーカップを置き、懐中時計をポケットから取り出した。そしてあろうことか懐中時計をアリスにポイッと投げた。
アリスは「わわわ」と言いながら懐中時計をキャッチする。「危ないじゃない。珍しい時計なんだから」アリスは、どうせ今から嘘だと判る、と信じていたからその言葉は嘘だった。アリスは懐中時計の蓋を開いた。
その懐中時計はパッと見普通の時計と変わらない。だけど周りの数字が違っていた。短針の長さに合わして1から12の数字が環を作り、それより外側を長針の長さに合わせて1から31の数字が環を作っていた。今は短い針が1から12の11と12の間を指し、長い針が1から31の13と14の間を指している。アリスは驚いた。今日は11月13日だ。この時計は他に数字や針はない。アリスが口を開けて驚いた。「ふん。珍しくも何にもなかろう」帽子屋さんは紅茶を飲みながら言った。
「どうして?こんな時計は初めて見たわ。だって日にちより時間の方が大事じゃない」
「ふん。日にちより時間の方が大事とは限らんだろう」
アリスは帽子屋さんのこの言い方が嫌いだったけど、今は気にならない。「だってそうじゃない。日にちはゆっくり変わるけど、時間はいつも変わるのよ。だから日にちはいつも確認しなくていいものよ」
帽子屋さんは紅茶を新しく注ぎ、一口飲む。アリスはそれが少しじれったかったけど我慢して言葉を待った。「オマエは時間と話したことがあるか?」
「ないわよ。当然じゃない」
「それなら時間と話したほうがいい。アイツと友達になれば嫌な時間を飛ばすことだってできるんだ」
「あら、そんなことができるなら友達になりたいわ」そんなことあるわけないじゃない、とアリスは思ったが内緒にした。
「オレは時間と友達だった。だけどオレはアイツを怒らせた」
「それは残念ね」
「アイツが悪いんだ」帽子屋さんはティーカップをテーブルに置いた。置き方が少し強かったので紅茶が少しテーブルに飛び散った。「オレはアイツに、オレがいるからオマエがいれるんだ、と至極最もなことを言うとアイツは、いやいやオレがいるからオマエがいれるんだ、と言いやがる。おかしいだろそんなこと。そんなことあるわけないだろ。な?」
「私にはわからないわ」アリスにとって喧嘩の内容はどうでもよかった。「それより時間と日にちの話はどうなって?」
帽子屋さんはティーカップを手に取りながら言った。「ふん。アイツはオレを6時に縛ってその時計を置いてった」
アリスは意味が判らなかった。「どういうこと?」
「ふん。そのままさ。オレはいつも6時になった。だから時間より日にちが大事なのさ」
「だから紅茶を飲み続けてるのね!」アリスは納得した。6時はお茶の時間だ。
「ふん」
「なーんだ。時間さんも大したことないのね。時間と日にちの言葉が入れ替わっただけじゃない」アリスは懐中時計を帽子屋さんに手渡しで返した。
帽子屋さんは懐中時計を受け取ると、もう一度時計を確かめた。アリスは横目でそれを確認する。あと少しで12時だった。「こりゃ大変だ。そろそろクリスマスじゃないか。紅茶じゃなくてワインにしなきゃならん」帽子屋さんはそういうと急いでキッチンに走っていった。
「帽子屋さんには11月30日に見えるのね」アリスは帽子屋さんを眺めて言った。「だけど変ね。私が最初に見たときは日にちが今日と合ってたわ」アリスは首を傾げて考えた。だけど結局判らなくて「たまたまね」そう言って帽子屋を後にした。
    『不思議の国のアリス7章“A Mad Tea-Party”一部をはやたん解釈で』
“A Mad Tea-Party”という言葉は聞いたことがある人もいるだろう。
不思議の国のアリスで出てくるおかしなお茶会シーンである。
原作者は数学者で、数学者らしい哲学的な解釈、世界観、言葉がとても興味深い。
そういったシーンが信じられないほどのペースで何度となく出てくるのが不思議の国のアリスという作品をこれ程までに有名にさせた所以だと思われる。
何度となくコペルニクス的転回を連想させる世界観に唸らされた。
その一つが上記の会話だ。
上記の会話は原作だと2~3文でしか出てこない。
しかしそれでは余りに勿体無いと思ったので、その部分を抜粋し、大幅に変更して写させてもらった。
だから原作には程遠いし、背景も違う。
それでも不思議の国のアリスという作品の不思議さが少しは伝わるのではないかとも思う。
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by xtu_ltu9981 | 2010-04-17 09:30 | 徒然なる希望と絶望

たらーたたたたーらたー、たーーら

「オレはもちろんオマエらの関係がどんなのか知らんけど、恋人やからってタバコ吸わんやつの前でタバコ吸うのはアカンと思うぞ」
「んなこと言ったって彼女が吸って良いって言うんやからええやろ」
「確かに、喫煙者はタバコ吸える環境の方が嬉しいやろうな。オレやってその喫煙者がオレに有益ならその分の喫煙を許してるやろ。現にオマエにやって2~3時間に一本許してるやん。オレでこれやったら恋人なんて尚更許すやろ」
「じゃあええやんけ。オレが彼女にとって有益なんやから」
「判ってないなぁ。別にオマエを好きになりたくて好きになったんじゃないやろ。嫌々好きになったんかもしれへんのに副流煙という攻撃。吸わんやつの前でタバコ吸うのは傲慢やねん。オレなら許される、とか思ってるから一方的な攻撃ができんねんな。甘えすぎやで」「オレが元々そうやったし、やからこそ言えるんやから後学に活かせよ」
非喫煙者の前で当然のようにタバコを吸うやつは傲慢だ。
タバコを吸うなら、副流煙分は最低でも補わなければならない。
これは高いハードルだ。
ありふれたキス程度では決してクリアできないハードルである。
喫煙者は「吸ってもいいよ」という言葉が自分のエゴの押し付けであるかどうかを判断しなければならない。
もちろんだが、上記の恋人関係はエゴの押し付けである。
独裁国家の国民は好んでその国に産まれたわけではない。
そして国民はその国家に属することしか許されないし、反抗する方法を知ることもない。
これが喫煙のケースにも当てはまるということを、当たり前のように人前で喫煙する人には理解できないかもしれない。
喫煙が体に悪いと信じていないからだ。
独裁国家のトップもそうだったことだろう。自分が正義で、反抗分子が悪であることを疑わなかった。
別にオレは道徳家になりたいわけではない。
だが、このブログの閲覧者はほとんど知人に限定されるはずなので、親しみを込めて書いておく。
常に自分のシステムを疑うべきだ。
そうできるかどうかが人間とプログラミングとの唯一の違いなのだから。

セックスは攻撃である。
それは男も女も変わらない。
動物の本能と言えば判りやすいだろう。
人間は動物だ。
理性を剥がせば、野生の獣同様欲求に支配される。
だからセックスに愛は存在しない。
しかし、愛する人とのセックスが愛していない人とのセックスと同じだと言う意味ではない。
愛する人とのセックスは、愛と攻撃性のギャップが高揚感を煽るのだ。

これが真理だと思うと、いつも新たな問題が発生する。
発覚ではない。新たな真理だからこそ生まれる新たな問題である。
そしてその問題すらも克服する真理を見つけても、またその真理に問題が発生する。
こうやっていつも真理は消えて行くのだ。
この世に真理などないように。

最近、絵を描いていて思ったことがある。
絵は図形だ。
数学で座標に点や線を書き込むことと同じ。
創造ではない。
トレース、製図、投影・・・そんな言葉が的を得ている。
元よりベクトルは、僕の頭の中にある。

言葉は複雑さを孕んで単純化する。
数学は単純さを孕んで複雑化する。
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by xtu_ltu9981 | 2010-04-13 04:21

たったーたーらた、たったーたたーらた

哲学、思想に関する本で僕が面白いと思ったものを挙げる。
そのため点数は全て高い。
題名のみの本は未読であるが、期待値が高い作品として載せている。
読んでつまらなかったら何も言わずに消す予定だ。
だからこの記事に関して言えば不定期に更新する。


・理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性  ★4
 高橋 昌一郎(著)

僕が不完全性定理を知るきっかけとなった本。
題名どおり、理性(理解、意味、認識、決定などと考えてもらいたい)の限界についての考えを述べている。
ディベート形式で展開されとても読みやすく、誰でも読める代物だと思う。
そういった点で素晴らしい本だと認定しよう。
これを読めば僕が最近取り組んでいることの概要は理解できるはず。


・ゲーデルは何を証明したか―数学から超数学へ  ★5
 E. ナーゲル (著), J.R. ニューマン (著), Ernest Nagel (原著), James Newman (原著), 林 一 (翻訳)

不完全性定理の解説書。
苦労せず読めるレベルだが、説明不足だとは感じない。
とてもスマートに仕上げた素晴らしい不完全性定理本だと思う。
これを読めば不完全性定理を理解できるだろうし、その理解は不完全性定理という言葉に収まらず新たな驚きを与えてくれるはずである。


・ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環  ★5
 ダグラス・R. ホフスタッター (著), Douglas R. Hofstadter (原著), 野崎 昭弘 (翻訳), 柳瀬 尚紀 (翻訳), はやし はじめ (翻訳)

この本を一言で説明することはできない。(「この本を一言で説明することはできない」という言明は「この本を一言で説明することはできない」という言明にも適用される)
根本的な問題は「私とは何か」「矛盾とは何か」といった哲学的問題、その問題に対する一つの可能性(著者の考え)を示している。
指針としては抽象理論に不完全性定理を使い、それを脳、AIなどの一般化に繋げている。(終盤は意思の在り方を主軸に物理法則などの根本的規制も関わってくる)
エッシャー、バッハの作品は理解へのメタファーとして使用される。
僕の感想は、とても巧くまとめこんでいるな、だ。それは決して文章のまとめる力を指してるわけではなく、内容そのものが根本的問題を巧く総括しているように見える。
名著である。


・メタマジック・ゲーム―科学と芸術のジグソーパズル
 ダグラス・R. ホフスタッター (著), Douglas R. Hofstadter (原著), 竹内 郁雄 (翻訳), 片桐 恭弘 (翻訳), 斉藤 康己 (翻訳)



・エッシャーの宇宙
 ブルーノ・エルンスト (著), 坂根 厳夫 (翻訳)



・無限と連続―現代数学の展望  ★4
 遠山 啓 (著)

他に比べれば数学の要素が高いのでこの系統に入れるべきか悩んだが、狙いはこの類の本であるのは間違いない。
内容はカントールの集合論から非ユークリッド幾何学までを表題として流している。
だが、この本はそういった理論を一つ一つ明確に説明する本ではない。それらの理論が現れる必要性が本来のテーマである。
要するにそれは理論自体とは、理解とは、意味とは、認識とは何かについてという根本的な話だということだ。
僕は話のテンポが好きじゃなかった。1952年の作品だということが理由だと思われる。
とにかく、狙いがとても良い書である。


・カントの自我論  ★5
 中島 義道 (著)

純粋理性批判を自我というテーマを元に一人で読み切ってもらおうとした本だ。
しょうじき難しい。
だからこそと言うべきなのか、一冊で出来る限りまとめ切っている。
僕が何度も読み返したのはそういった理由があってこそなのだと思う。


・トランスクリティーク――カントとマルクス
 柄谷 行人 (著)



・ハイデガー=存在神秘の哲学  ★4
 古東 哲明 (著)

ハイデガーの思想に触れさせようとする本だ。
著者のこの本に対する熱い思いが伝わってくるような書き方で、読みやすい。
しかし、この本でハイデガーの思想に触れるというのは難しい。
ただ、ハイデガーの思想に触れるきっかけを作ることは十分可能だ。


・今こそアーレントを読み直す  ★5
 仲正 昌樹 (著)

アーレントは政治哲学者である。
彼女の思想は政治に転換させやすいから政治哲学者と呼ばれているのだと思う。
僅かに皮肉を入れた率直な文が多く苦笑させられたし、読みやすい。
アーレントは人間の在り方を愚直なまでに考え抜いている、と感じた。
その在り方の一つの結論の中に公共性という考え方が主軸として出てくるのだが、それがとても興味深く、もっと知りたくなった。


・意識の探求―神経科学からのアプローチ (上)(下)
 クリストフ・コッホ (著), 土谷 尚嗣 (翻訳), 金井 良太 (翻訳)



・不思議の国のアリス  ★5
 ルイス キャロル (著), Lewis Carroll (原著), 柳瀬 尚紀 (翻訳)

ディズニーの代表的作品ともなったアリスの原作。
あまりに有名なため幾つもの日本語訳が出されているが、僕はGEBの訳者の一人である柳瀬氏の翻訳本を手にした。
子供向けという印象が強いであろう作品であるが、決してそんなわけではない。
確かに、アドベンチャーとしても出来が良いからワクワクさせてくれる。
だが、それだけではこれほど有名にならない。
この作品の真骨頂は、そういった表題に隠れて何度となく出てくる言葉遊びや論理的悪戯の存在である。
それに気づけば、不思議の国のアリスという作品に感銘を覚えることは間違いないだろう。
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by xtu_ltu9981 | 2010-04-08 00:15 |

ちゃっちゃらたーったたらたらたー

最近、興奮したものを書く。
なぜ書くのかといえば、この興奮に乗じてしまっている、からだ。


・ゲーデル、エッシャー、バッハ あるいは不思議の環
全部読んでないし、まだまだ序盤だけど、興奮せざる得ない。

・ゲーデルは何を証明したのか 数学から超数学へ
ああ、ああ、ああああ、、、メタアアアアアアアア!!!

・YMO(at Greek Theater)
こいつらラッキーすぎ。こんな才能溢れる若者が同じ場所に集うなんてあるもんじゃない。

・黒川きらら
この体つきいいね。だけど瞬間的な興奮で終わりそうとも思うよ。

・アクセサリーショップ
知り合いがアクセサリーショップを趣味でやろうぜ、と言ってきたのだが、微妙に興奮する。



自由とは制約だと言った。
自由という制約を負っている人間は自分が制約を負っているとは感じていない。
その次元を一つ超えて、初めて自由が制約だと認識できるのだ。
人間、、、いや自己とはこういったメタ形式=反省的な事象でしかない。

あーやっばいなぁ。
まだ全然、興奮してるわ。
今の感覚やばい。
もう今が今じゃないことは常に感じてるし、同時に時間が瞬間ってことも常に感じてんもん。
ああ、やばい。
オレ、メタってるわ。
マジ、この言葉流行るやろ。
メタる。
もうこれ、傍観者の必須言語やから覚えとけよ。
よし、メタろ。
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by xtu_ltu9981 | 2010-04-02 21:17