<   2009年 01月 ( 5 )   > この月の画像一覧

ちゃーらぁ、ちゃーららちゃぁ

僕の人生に意味はあるのだろうか。
意味があるなら知ろうではないか。
僕はその意味の意味を求めよう。
意味の意味の意味の意味の意味の・・・echo
人生に限らず、全ての事象に置きかえる事ができるだろう。
僕の人生に意味はない。
ならば僕は「意味がない」の意味について問おう。
すると僕は答えない。
僕は答えないが、答えないという答えを出してしまう。
結局、僕は答えてしまう。何をしても答えてしまう。
なぜ僕は意味を求め、その求めに対して答えているのだ。
求めに対して答えているのは、その求めを「求められていない自分」から「求められいる自分」として自分を理解し、その求めに答えるというよりは、その求めを自分の一部として自分を理解してしまったがために、その反応で「その求めを自分の一部として自分を理解してしまった自分」として、まるで1+1=2と決められているかのように勝手に答えを返そうとしている。
答えを返すのは求められたモノの宿命でしかない。答えを返そうとしないのは、それすらが答えであるからだ。
ならば、と。
なぜ僕は求めたのか。ということに関して言えば、それは答え同様、何らかの答えとして僕はその疑問を投げ掛けたのであろう。その求めは求めではなく、答えだ。それがこの場合だと「求められた自分」からすれば求めに聞こえ「求めた自分」からすれば答えに当たる。求めはこの場合だと「疑問」に当たるが「疑問」自体を見てみれば「答え」と変わらない。
「僕の人生に意味はあるのだろうか」
僕はこの言葉を客観的に見ることにより「疑問」として捉えた。
しかしもっと独我的に考えてみる。するとこれは何らかの要素に対する答えだ。
人生設計の思考中に生まれたモノだったのかもしれない。セミの一生を見たときに生まれたモノだったのかもしれない。タバコの煙の行方を追っているときに生まれたモノだったのかもしれない。
何でもいい、何かに対する「答え」として生まれた疑問だ。
疑問を持つと、どうしようと、「疑問を持った」と理解し「疑問を持った自分」として行動してしまう。
この絶対的反応に僕は背くことができない。
そこが怖かったりもする。
小学生の頃、膝のとある部分をコンと刺激すると足が脊髄反射で動くということを知った。周りが「ほんまやほんまやー」と笑っているのを傍目に僕は恐怖を感じていた。
望んでもいない行動を勝手に意識すらせずに行ってしまう。しかもその反応には抗えない。
それに限らず、自分で選んだ行動すら、実は抗えない反応なのではないか。
全ての行動は元から決められた行動だったのか。と、そういった恐怖である。
しかし考えてみよう。
ならば、望む行動を実行させるものは何か、これもこの絶対的反応で間違いない。
ふーむ。
さて、僕はこういった抽象的思考を頭の中で連ねる。
疑問を持ち、答えを返し、答えに疑問を、疑問に答えを、答えに答えを、疑問に疑問を。
答えは永遠に出続け、疑問は永遠に出続ける。
僕はそんな渦中を当たり前のように流れている。
Let it beというビートルズの曲があるが、Let it beを訳すと「なるようなれ」である。
僕はこの世の全てを、まさしく「なるようになっている」と考える。
どんな結果に陥ろうとも、なるようになっていき、なるようになった結果なのだろう。
そこに悲観することを僕はしない。
どんな渦中にいようとも、自分がその渦なら、自分を渦と知ったところで、渦が何なのか判らないはずだ。
僕はなるようになって生きている。
そこに悲観はしない。
[PR]
by xtu_ltu9981 | 2009-01-31 07:42 | 徒然なる希望と絶望

ああ、ウイルスよ、どこまでも

クリスマスとか死ねばいいのに。
マジ、引きこもりの俺には苦痛のほか何もないわ死ねよ。
クリ○○スとか言って下ネタに走るしかないじゃん。
とある友人はギターの弾き語りで「リスがクリを食べて~クリ、クリ、クリとりs~♪」と歌ってたな。
と、まぁそんなことを考えながらクリスマスを堪能していると
懐かしいROの知人からメッセが来るではないか。
喜んでそのメッセージを見るとURLが張っている。
どんなページに飛ぶのだろうとワクワクしてそのURLをクリックする。
PCが一瞬フリーズする。このフリーズは瞬間的だったので何かのラグだろうと思った。
新しいウィンドウが開く。そのウィンドウはインターネットブラウザではなくファイルを開くかどうかのウィンドウ。
僕は迷わずOKをクリックした。
するとどういうことだ。
静かだったCPUが悲鳴を上げ始め、ディスプレイには瞬間的なフリーズが続く。
それが20秒ほど続き、その動作は止まった。
怪しい。
ファイルを開いたはずなのに、何も出てこない。
非常に怪しい。
僕は、これはウイルスだ!と断定し、対処方法を探す。
やはりウイルスだったようで対処法が載っている。載っている対処法どおりに実行し、対処できた!
かと思いきや、対処できていなかった。
セーフモードでスキャンするも対処できない。
意味不明だが「もういい!大して邪魔でもないし後で処理しよう!」ということにした。
翌日、リア友Mからメッセージが来て、そいつもそのウイルスにかかったようだ。
ウイルスの発生元は俺からのメッセージらしく、同じくURLが張られてたのこと。
どうもこのウイルスは感染者からメッセンジャーを使って、その人の登録メンバーにウイルスをばら撒くシステムのようだった。
友人Mはウイルスにかかったことが気に食わず、なんとか対処しようとする。
それが罠だった!
彼はレジストリやらなんやらを弄っている最中に間違ってOSを破損させる。
残念無念、彼は初期化を余儀無くされた。
恐ろしきはウイルス。
やつらは人間をもコントロールするようだ。
コントロールされた友人Mは言う「どうして一般ぴーぽーはPCを壊すかなぁ?俺?俺は自分の意思で壊したんやし(キリッ」と。
まぁ僕はそこからウイルスを無視して2週間ほど悠々と過ごしていた訳ですが
そのせいかPCが非常におかしくなってくる。
久しぶりにFEZをやろうとFEを起動させようとするが起動しない。
Zoomeで動画を見ようとするとZoomeの動画だけ再生できない。
ネットサーフィンしようとし、どこかのリンクに飛ぶ度に新しいウィンドウで広告が表示される。
顕著な例としてはこんなところだろう。僕の怒りは有頂天。
しょうがなく無い知識を絞って対処しようとするが対処できずに終わる。
僕は困った。
初期化はしたくない!僕には消したくない思い出と嫁がPC内にたくさんいるのだ!
といった相談を友人Mにすると、彼はすぐさまこういった「今から外付けHD持ってくわ」。
彼はカッコよすぎた。
それが故に彼はその後、しんどい目に会うがこの時はまだ知らない。
彼が僕の家についたのは22時半頃である。
最近、ご近所様から迷惑だ迷惑だと言われ夜から朝にかけ玄関で住まうことになった我が家の犬に「ぐるるるる・・・!わんわん!ぐるる・・・わん!」と吼えられ僕の部屋に入る。
彼の外付けHDに必要データを写す。外付けHD内に犇めき合うように入っていたrarファイルの題名は伏せておこう。
僕の無知さは素晴らしかった。なんと初期化の方法が判らない!
調べて初期化しようとすると友人Mが言う「しゃーねぇなぁ。俺がやってやんよ」。
席を譲る。「さーて漁るかなぁ・・・」と彼は言いながらも一向に漁ろうとせず初期化をしようとする。
カッコよすぎる彼を傍目に僕はギターを手に取り「You」という「ひぐらしの鳴く頃に」で有名というよりニコニコで有名な曲をポロンビロンと弾く。
すると友人Mは叫びだす「あ?・・・初期化できん」感動する言葉であった。
あーだこーだと2時間ほど頑張ってもらい初期化に成功する。
初期化が終わり、OSをインストール。インストール時間は1時間もかからない程度という表示だったが、とりあえずここからは自力で何とかなるだろう。
「HDは貸してやるから俺は帰ろうかな」と彼は言う。
2時間も頑張ってもらってタダで帰すのは少し悪いだろう。と彼を近くの喫茶店に招待する。
喫茶店に居座った時間、なんと6時間。
喫茶店を出た時間は大体7時ごろである。
友人Mはその後、寝ずに大学に行き、後期単位今のままだと0個という神スコアをなんとかしようと奮闘するのである。
僕は悠々と家に帰り、朝飯を食べて寝ようとするが、教習所の予約があることを思い出し教習所に1日中行き、帰って寝ようとするが、バイトがあることを思い出し、深夜のバイトに駆け出し、バイト先で1度ヨダレを垂らしながらも頑張って生き抜いたそうな。
ああ、なぜウイルスはこうも僕たちを翻弄するのであろう。
[PR]
by xtu_ltu9981 | 2009-01-23 09:49

たったーら、たーらぁ

「AはBである。私はBである。よって私はAである」
という推理があるが、これを三段論法と言う。
1.大前提/AはBである。
2.小前提/私はBである。
3.結論/よって私はAである。
この時、Bが不周延なためこの推理は成立しない。
これを誤謬推理と言う。
「魚は生物である。私は生物である。よって私は魚である」
この時、生物が媒概念不周延の誤謬といい
魚は生物であるが生物は魚であるとは言えない。
魚と生物が同値ではないため生物が不周延なのである。
なんか意味判らん言い方ばっかだが、世の中はこんな非論理的発言で溢れている。
非論理的発言は論理的とは言えないが、非論理的発言として捉えると論理的になる。
なんとも変わった統覚であろうか。

友達からZippoもろた。
これはかっけー。
カチ、しゅぽっ、カチャ!

驚いたことに98%近くの同級生が成人式に出向いてたようだ。
これにかなりなカルチャーショックを受けた。

中学の同窓会で最も話してみたかった2名が不参加で
がっくりきた。
が、まぁいい。
それなりの収穫があった。
まだ過去を振り返るには若すぎる。

自由とは何か。
僕の理論に当てはめると、自由になりたい、もしくはそう思いたければ自由となるのだが
これは認識の方法でしかない。
大体、自由になりたい!と思えば、その考えに縛られるのは逃れられない。
それを自由と言えるのか?
人は限界を作り、その限界内で自由を得る。
「勝手に自分の限界を作るな!」何人の人がこの言葉を言っただろうか。
限界を作るな!この言葉に隠されている意味がある。
「限界を作らない」という限界を作れと言っているのである。
限界値の設定を行うことにより、人は実在的現実と主観的現実の間にルートを作ることができるのだろうか。
さて、話は戻るのだが
それを自由と言えるのだろうか?
僕は、自由とは何か、と考えた瞬間にだけ自由ではなくなるようだ。

Fateをやりたくなった。

一つのことを考え始めると、大体1~2週間で答えが出る。
それをそれなりのレベルで概念化するには下手すれば数十年かかる。
時間が足りない。
なので足りる方法を考えようではないか。
ま、まだ考えたい事象があるから先の話だけどな。

FateのMAD見てちょううけたwwwwwwwww
桜出てきたら「桜いらねぇ」「桜いらねええ」って大文字コメが数個流れて
素でわろた。
桜ルートはけっこー熱かったけどなぁ。
まぁ桜ルートやらん限り桜の良さはオレもわからんかった。
桜の良さというのは作品の中の存在位置の確認の話。

最近は文学に対して「まぁなかなか良いものかもしれないな」
と思うようになった。
小学生の頃からの話だが文学は大嫌いだった。
単純に、捉え方は幾通りもあるという当然の中でそれを一々確認しているのが嫌いだった。
最近、案外良いな。と思うようになったのはそういう違いが良いと思い始めたからなのかもしれない。
僕はそのことに気づいた瞬間少し恐怖を感じた。
小さい頃は当たり前に他人や僕との違いを感じれた。
それなのに最近はそれを感じようとしないと感じれなくなったんじゃないのか。
これはオレが社会的概念を当たり前だと感じるようになったからではないのか。
これが微かな恐怖の原因なのかもしれない。
ま、実際は文学に対して受動的ではなく能動的作業が増えてきたからなんだがな。

あああああああああああああ。
もおおおおおおおおおおおお。
12/25にもらったウイルスが駆除できんんんんん。
うざすぎて泣く。
いや案外駆除できてるんかもしれんが、ちょっと不具合ががが。
はぁ・・・リカバリーすっかなぁ。
と思いながらデータを整理してると
超めんどくさいデータが出てきた。
FEZ動画集。
オレのFEZ動画はちょい消すわけにはいかん・・・
エンコしてないせいで全データサイズ150Gオーバー。
エンコだりー。

「私は今もこんなんやし、小学生の頃から悪いことやってて高校は中退するし」
僕は彼女を目を見つめ、彼女の目は僕の目を捉える。
「けどその頃に比べたら今の私は好きかな。昔の私はほんと嫌い」
彼女の細い腕と手首には、刃物で切った傷跡が数個見える。
「高校のときは親に縛られて苦しかった」
彼女に何か言葉をかけたかった。
「けど、今は好きなこと何でもできるもん」
彼女はそう言うとニコッと笑おうとする。場所が暗いせいだろうか、目だけが暗い。
僕は話さない。何かを話すと僕が壊れそうな気がする。
目に映る細い傷跡は僕に彼女の過去を想像させる。
彼女の過去に同情はしたくない。
それなのに、なのか、だからこそ、なのかは判らない。彼女に優しい言葉をかけたくなる。
そんな僕がとても無力見えた。
[PR]
by xtu_ltu9981 | 2009-01-19 00:43

ちゃらーらーらー

そろそろ成人式だなぁ。そしてそろそろ誕生日で20歳だなぁ。
と思って感じたことなんだが
オレって割かし若いんだな。

最近、頭が固くなっている。
因果関係を求めすぎるが故に、因果関係が見えてない。
これはひじょーに問題だ。
こうなってしまったら簡単には元に戻らない。
そんな時は、その対象を見切るのが一番楽。
一度切り捨てて、リフレッシュした方がやりやすい。

免許が超やばくて、実車予約4つしか本来なら取れないのに
情を買ってもらって10個以上予約取ってきたのはいいんだが
昨日、飲みに行って帰りにこけてしまって
右足首くじいた。ちょーいたい。
腫れてるし、もしかして骨いってんじゃねーの。
歩くのも少しきびしいんだけど。
アクセルはまだしも、ブレーキ踏むのが少し怖い。

罪と罰って本を買ってきた。
本屋でぱーっと眺めてたら目に付いて、衝動買いしてしまいました。
ドストエフスキーってロシア作家の代表作の一つ。
本とか興味ないんだぜ(キリッ。とか言ってる人ですら聞いたことがあってもおかしくない知名度であろう。
とりあえずこれ読んでみるかぁ。

ニクソンという映画を見た。
何代目だったか忘れたけど、ケネディの次のアメリカ大統領がニクソンである。
そのニクソンを主人公にした映画。
3時間という大作ながらうまく仕上がった作品だと思う。
この人間染みた嫉妬、劣等感、優越感、高揚感、傲慢、自己愛、プライドとかを表現しようとしてるのが良い。
少し似たような表現が混じってるのはちょっと頂けないけど
なかなかおもしろかった。

吸うタバコの種類を変更した。
マルボロからJPSに変更。
John Player Specialが正式名称。
赤マル8:セッタ2みたいな感じ。
なかなかいいじゃない。

スコアという映画を見た。
ロバート・デニーロ主演のドロボー映画。
最後に軽いオチがあるんですが、そのオチだけすでに知っていた分、おもしろくなかった。
というより、オチを知らなかったところでおもしろかったのか疑問だ。
恐らく脚本家と監督はこの物語に対しての答えが見つからなかったのだろう。
非常に曖昧な作品となっている。
まぁ結局のところアメリカ映画を抜け切れない映画だった。

人は疑問に思うものである。
疑問とは意味を求めるものだ。
物事に意味など本来なく、意味とは人がつけたものでしかない。
それなのに、なぜ人は意味を求めるのか意味が判らない。
僕はこれに対して「意味が判らない」という意味を持って納得している。
意味とは人が納得、理解を得るために作った社会である。

去年だけでどれだけエビアンを飲んだだろうか。
えーっと、4月から週に4つは買ってたから、、、
146本、一つにつき330mlだから、、、
48Lか・・・

僕は僕を「僕」と言うけど、あなたは僕を「おまえ」という。
僕はあなたを「あなた」と言い、あなたはあなたを「私」という。
僕は「僕」でもあるし「おまえ」でもある。
「僕」「私」「オレ」「彼」「彼女」「彼ら」「あなた」「君」
この世にどれだけの「僕」がいて「私」がいて「あなた」がいるのだろう。
きっと数え切ることなんてできない。
僕は僕の中にある「あなた」の数すら数えることはできない。
さっきから僕は「僕は」と何度言っただろうか。
僕は「僕の存在」を疑える。
しかし、その疑い自体を僕の疑いだと疑わない。
そこだけは、疑えない。

最近この形式の記事しか書いてないなぁ。
数行一つの事象を書いて、そのあとまた全然違う事象を数行で書いていく形式。
この書き方はホント楽なんだ。
数日に渡って、数個の事象を書いて、ある程度の量になったら投稿。
マジ楽。
その時思ったことをテンションに任せて書けばいいというね。
脚本とかある程度長い文章を書く場合
1日じゃ厳しいから数日かかったんだけど、あれはその時によってテンションが変わってて
書き方がちょっと変わっちゃうんだよね。
そうなると一つの繋がりが解けちゃって読み辛くなる。
そろそろそういうのに慣れるためにも形式変えるかなぁ。

バイトでちょーうざい客が来た。
午前5時ごろ、まったり事務室でタバコを吸っていると電話がかかってくるではないか。
「はい、もしもし○△□店です」
「もしもし、さっき来た客やねんけど、カバン忘れたみたいなんやわ。どっかないか?」
「いえ、見てないですねー」
「ほんまか?うそやったらしばくぞ」口調が変わり始める受話器。
「見てませんね。監視カメラで確認してみますから連絡先教えてもらえませんでしょうか?」
「あ?隠しとったらボコるからな」
「と言われましても、カバンは見てないですねー」
「・・・」ガチャと切れる電話。
マージ、うざいです。
で、監視カメラで確認してみると、その客であろう男が入り口付近にカバンを忘れていた。
で、数分後に違う客にパクられてた。
ざまぁwwwwwwwwwwwwwwwww
と言ってしまう店員のオレ。
あー、これ以上この件でオレに迷惑がかからないことを祈る。
[PR]
by xtu_ltu9981 | 2009-01-12 09:40

とぅっとぅーるとぅーるー、とぅっとぅーるとぅっとぅるーぅ

年が明けました。
まぁ今年もよろしくお願いしますわ。

物事をよく考える人はこの年齢になると増える。
いや、元々多かったのかもしれないが、やっと自分の意見を発言できるレベルまで達してきたのだろう。
彼らの98%に言えることだが
視点が少ない。
もっと広く見ないと推測は続き、推測は推測を生み、推測は終わらない。
遠くから物事を考えると、推測は一周し、そして終わる。
次に考えることは、その一周自体である。
そしてまた廻し、それを見て、それをまた廻す。
そうしないと推測は妄想に変わる。

今KOTOKOメドレーをニコニコで聴いてる。
PCが変わってitunesに入ってた音楽が変わってしまい
KOTOKOがなくなってしまったのだ!
それをさっき思い出した。
やっぱりこうじゃないと!

ここ数年、真面目な顔してオレの頭がほしいと言ってきたやつは4人いる。
彼らは判っているのだろうか。
オレは記憶力は大したことないし、回転速度も大したことはない。
単純に構想力があるだけである。

過去の出来事を振り返るとき
「あれはよかったなー」などと言うのである。
「あれは最悪やったなー」でもいい。
それはその時の体験を想像して、もう一度その心情を味わっているわけではない。
おもしろい、つまらない、などと当時思ったこと自体を記憶しており、それを思い出しているに過ぎない。
僕たちは、知らずの間に、統覚を統覚するということをしている。
だが、統覚とはすでに統覚を統覚することすらも含む。
統覚とは哲学としての出発点である。

高校のとき、聖書の授業というものがあった。
まぁあとあとになるとダレもが寝ていて、ひじょーに快適な授業だったんだが
それはさておき
高校1年の最初の授業は皆集中して聞いていたものである。
その時の授業内容を未だに覚えている。
先生が短い物語を読み、その物語に出てくる男の数と女の数を数える授業だったんだが
正解者が僕しかいなかった。
先入観とは恐ろしいものである。

批判哲学という300年前ほどに提唱された説がある。
ただいま読解中。
全部読み切っていないので、内容はさておきたいのだが・・・
これだけは言わせてほしい。
題名からして卑怯だ!
批判をどうやって批判するのかと。
批判を批判すると打ち消されるじゃまいか。
その場合は批判の存在証明をするわけだが、それはまだしていない。
まぁ、批判を批判やらと言ってる時点で批判の存在を認めてるんだがな。

批判哲学の他にファシズムについて書かれた本を読んでいる。
これもなかなかおもしろい。
ファシズムという思想自体はもちろんながら自由主義、民主主義、社会主義、共産主義やらいろいろな思想に当てはめれるんだが
この本はもう一つ視点をつけてファシズムを固定しようとしている。
ファシズムという言葉は1930年ごろに生まれ、WWⅡ終戦までの独伊日を指す。
この視点はなかったなぁ。
なかったというより見過ごしてた。
先入観とは恐ろしいものである。
この時、WWⅡ終戦を1945とするのも早計なのを忘れてはならない。
ファシズムとは何か。
これはファシズムについて考えるに当たり、最初の問題であり、最後の問題である。

今、家に50万ほどのギターがあるわけですが
触っても良さが判らん。
良い音だし、弾きやすいんだが、50万の価値がオレには・・・
これはハーゲンダッツの原理である!
ハーゲンダッツとはアイスのハーゲンダッツである。
あれはおいしい!
おいしいが300円の価値があるのかと!
とある人は「ある」と言い、とある人は「ない」と言う。
それは味という軸を固定し、もう一つの軸として値段と時間のどちらを取るのかという話。
味と値段の軸ならその他のアイスを取りやすいだろうし、味と時間の軸ならハーゲンダッツと取りやすいだろう。
というのは短絡的な話であって、実はもう少し奥が深い。
が、大まかなところこれと同じである。

メッセでウイルスもらった!
12/25の話で、少し前の話なんですが
マジうざいウイルスだった。
駆除できたと思ってたのに、まだ駆除できてなかったらしくてアドウェア量産しやがって
アドウェア発見数が150k近くいってて吹いた。

理論物理学者のような人々は果たして何を研究してるのだろうか。
いや、何、ではない。
どうやって、研究しているのだろうか。
見えるレベルのテーマではない。
人間には見えないどころか、最新の科学技術をどう駆使しようが知覚できないレベルのテーマすら研究材料としてあるのだ。
彼らはどこで研究対象を見つけているのだろうか。
見つけた後、それをどうやって解き明かすのだろうか。
全ては自分の中に作られたこの世の表象の中から見つけるしかない。
この世は自分の中で作られているのだ。
もし自分の「そと」にこの世が現に在ると仮定しても、自分が認知できるこの世は自分の「うち」にしか存在し得ない。
超越論的統覚とはさしあたりこのことである。

僕は根っからの構成主義である。
少し前にリアクションについて軽く書いたことがある。
リアクションとはAの反応としてBが存立するということを書いた。
ここでその時にも触れているが、反応とは時間軸に捕らわれた言い方なのだ。
そこを構成と哲学者は呼ぶあたり、なかなか賢い。
しかし、こういったことだけで構成主義と呼ぶには早計である。
構成主義とはAに依存しBが存立すると書いているわけではない。
Aには元々Bが存在し、Aの中からBをBとして認識することが構成主義である。

僕はこの髪の毛一本すら創造することはできない。
しかし僕は、この世の全てを構成することができる。
[PR]
by xtu_ltu9981 | 2009-01-07 00:01