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たったらったった

騙して勝つより、騙さず勝つ方が難しい。

奇策を講じて勝つのも良いが、王道で勝つことが一番嬉しい。
王道勝負こそ、個性が必要だからだ。


そんな日本らしさに、僕は惚れ直したのである。


次回から↓
http://xtultuita.exblog.jp/
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by xtu_ltu9981 | 2010-10-01 00:51

たったーらたーら

漁船衝突事故(事件?)の中国人船長釈放は一体どういった意味を持つだろうか。
恐らく誰もが思うだろうけど、これは対中問題を越えた行為かと思われる。
明治時代の大津事件を知ってるだろうか。
歴史の授業で出てきたはずだ。
日本を訪問中のロシア皇太子に日本人が斬りかかった事件である。
皇太子は負傷したが大事には到らず、暗殺未遂事件となった。
当時の日本と言えば、植民地化されるかどうかは欧米次第という明らかな弱者であった。
そのため、この事件を出来る限り穏便に済ませるため、政府は加害者の死刑を要求する。
しかし、司法はそれを認めず、終身刑とした。
なぜか。
それは日本国が法治国家だったからに他ならない。
対露問題より、法治国家としての在り方が先行したのである。
この明治時代の大津事件が、今回の漁船衝突事故と重なって仕方がない。
今回の釈放は、大津事件とは逆の行動原理なのは恐らく正しい推察だろう。
その推察が当たったところで結果は判らない。
逆の行動原理だからといって逆の結果を得るとは限らないからだ。
だから結果は判らないし、また別の話である。
ただ、現状を見れば、この行為がどの程度のレベルで語られるべき話なのかは判るはずだ。
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by xtu_ltu9981 | 2010-09-26 22:43

たらたらたん、たらたらたららん

もし、僕の目が良ければ、北斗七星は見えない。
あの7個の星のうちの一つは、実のところ二つの星で構成されている。
だから、目が良ければ8個の星に見えるのだ。
幸いなことに、僕の目は良くないから、北斗七星は常識の思惑通り、星が7個の星座なのである。

もし、僕の目がもっともっと良ければ、今知られている星座は何一つとして見えない。
夜空一面に輝く星が現れ、どこに連なりがあるのか判らなくなるからだ。
しかし、それでも人は、新たな星座を生み出し、星の位置に意味を見出すだろう。


意識は常に意味を求め、意味は常に意識される。







10月に入ってからは下記のブログで記事を投稿する。
恐らく、根本的な方針は変わらないと思うが、話題にイタリア関連が増えることは間違いないだろう。

http://xtultuita.exblog.jp/
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by xtu_ltu9981 | 2010-09-24 02:33

ちゃーたった、ちゃーらった

10/1にイタリアに出発する。
18時半ごろローマにあるフィウミチーノ空港に到着予定だ。
滞在先はアレッツォという町で、ローマから北に100kmほど行った場所にある。
10/1中にアレッツォに着くようにすると、とても遅い時間になるので先方への迷惑も考えローマで一泊する予定だ。



僕はイタリアに何をしに行くのだろうか?
果たして、その答えは単純ではない。
僕もよく判らないからだ。
ただ、海外に行くべきだ、と思っただけである。
しかし、やはりある程度短い言葉で僕の留学目的を説明してみたい。
そこで思いついた言葉がある。

僕はイタリアにイタリアを見に行くわけではない。
僕はイタリアに日本を見に行くのだ。

どうしてイタリアはこうなんだ!
どうしてイタリア人は!
なんというイタリア人!
そういった、イタリアに対する思惟が留学中は生まれることかと思う。
まだ留学していない今ですら、郵便に関することで頭を痛めているし(イタリア国内での郵便が遅い)、イタリア領事館の対応の適当さに少し呆れている。
そういった、イタリアに対する思惟、というのはなぜ生まれるのだろうか?
郵便や生き方に限らず、様々なことでイタリアに対する思惟は生まれるだろうけど、どの対象にも絶対に必要なものがある。
それは、僕の中にある日本、だ。
僕の中に日本としての思惟、もしくは常識といったものがなければイタリアに対する思惟は生まれない。

僕はイタリアにイタリアを見に行くのではない。
僕はイタリアに日本を見に行くのだ。
僕は、イタリアでイタリアを感じるときに現れる、僕の常識(日本)、を知りたいんだ。
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by xtu_ltu9981 | 2010-09-16 18:26

どぅっとぅるっとぅー

最近買ったもの。


・ノートPC/70000円
マジてきとーに選んだ。
Corei3とグラボがついてたはず。

・USBメモリ8G/2000円
二つ買った。
一つだと、誰かに渡した場合に手元からなくなってしまうから。

・外付けハードディスク/6000円
500Gとそれなりの容量なのにコンパクト。
iPhoneくらいの大きさ。

・扇子/13500円 扇子袋/2500円
本煤竹使用の渋扇。
留学するので日本と海外のなんかよくわからない節目として、という思いからか購入。
留学先ではネタとして一役買ってくれるだろう。
(僕自身は少し驚いた話なのだけど、扇子というのは日本発祥のものらしい。てっきり中国だと思っていて、日本らしさを漂わすネタとしては弱いかな、と感じていた。朗報である)

・サイレントギター/65000円
周りに聴こえないように、練習用として購入。
普段は使わない。

・風の森 純米吟醸 露葉風60% 無濾過生原酒 720ml/1500円
3本購入。
気分のいいときとか、何人か集まるときに、僕が好んで用意するお酒。




ほとんど、留学があるから、と言う理由で購入したものが多い。
留学費用に物品の計算は入れていたけど、飲み代が予想外の出費となっている。
上記の風の森という酒だけに留まらず、近所の知人と飲み行く回数も増えて、その出費がバカにならない。
1~2ヶ月前まではお金を貯めていたのに、今は出費しかなくてギャップを感じる。
そのギャップを感じるせいか、やっぱり人間って消費する側なんだな・・・、とか地球レベルを思ったりする。
という話でした。(なにが?)

今回は突っ込みをいれてみた。
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by xtu_ltu9981 | 2010-09-11 11:06

ちゃらちゃちゃっちゃっちゃー

最近、少し話題になっている授業システムがあるらしい。
小~高までの授業を対象にしたシステムである。
大学では意識せずとも、当たり前のように存在する授業形態かもしれない。

例えば28人クラスなら、4人づつのグループに分ける。
まず先生は大まかな方針を立てる。
例えば「数学の二次関数の問題」「理科の気象の問題」「問題集P67~73まで」などである。
その方針に従ってグループは、グループ独自で自由に問題を解く。
4人中1人が間違っていれば、正解者が間違った人のミスを注意すればいい。
4人中3人が間違っていれば、先生を呼んでミスを注意してもらう。
先生も先生で、常に受動態ではなく、グループ間をうろうろしながら、ミスがないか確認する。
時にはいきなりグループに問題を出し、その解答を確認する。

今までも似たような授業はあった。
例えば、自習時間、などといって個々好きなように問題を解かす授業だ。
それをこの場合は、個人、を、グループ、とした点が主たる違いだろう。

僕はこの授業システムを教師志望の知人から聞いた。
彼曰く、この授業方法は現代の子供たちに向いている、のだそうだ。
上下の繋がりが弱くなった現代は、それと反比例するように横の繋がりが強くなった。
そのため、個人を注意するのではなく、グループを注意すると素直に聞いてくれるのだそうだ。
個人を注意しても、煙たがられることが多いらしい。

「オレはこの授業システムを良いとは思えないな」
「なんで?」
「これじゃ個性が作れないと思う」
「個性って何だよ。そんな簡単に失うもんじゃないと思うぞ」
「いいや、失う」
「なんで?」
「確かに、最近の若者の性質を逆手にとった効率の良い授業形態かもしれない。だけど、まずオレは、最近の若者が良いとは思えない」
「じゃあどんな若者が良いと思えるんだ?」
「さっき、横のつながりが強くなった、と言ってたが、そんな他人に左右されるようなのじゃダメだ。何が必要か、それを自分で判断できるように育てていくべきだと思う。この授業形態だと、他人の意見に同調することが正しいと思ってしまうかもしれない」
「・・・確かにそうかもしれないけど、オマエはいつも現実を見てないんだよ。逆に、個性?を育てるような教育がどういったものなのかを教えて欲しいね。そんな理論めいたことより、結果を出せれば何でもいいんだよ」
「個性を育てる?オレはそんなことは言ってない。オレは、個性を作る、ことが重要だと思ってる。個性の作成は本人でしか成しえない。だから教育者が出来ること、大人が子供に出来ることは、ただ環境を与えるだけなんだ」
「教育者が出来ることは環境を与えるだけ、ってのは判る。だけど、教育者は子供に教育しないといけない。それが環境の一つだからね。その教育の方法を聞きたいんだよ」
「オレはオマエがさっき言ったように理論ばかりだ。抽象理解ばかりで、具体案は持たない。だから具体案を知りたければ自分で考えるしかない。オレはただ、抽象的なレベルでしか話さない」
「勝手なやつだな」
「そうしないと、個性が作れない」
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by xtu_ltu9981 | 2010-08-29 11:32

だーだー、だーーーー、だらだらだー

選挙権を得てから2回目の選挙だ。
マニフェストを読む限りだと恐らく前回と同じような投票になるだろう。
元より、マニフェストに書いている具体案にはあまり興味がない。
どうしてその具体案が生まれたのか、そこに重点を置く僕は、そんな簡単に支持政党が変わらない。
そして僕の投票は個人に対する投票ではなく、党に対する投票だ。
これは賛否両論あるだろうし、僕も正しいとは思えない。
とりあえず今は党に投票している。

ついでに僕が感じた党の印象。

自民党・・・現実的で曖昧
民主党・・・具体的で張りぼて
共産党・・・理想論
社民党・・・意思のない相対思想
公明党・・・組織票
みんなの党・・・混沌な自由
たちあがれ日本・・・年寄りイノベーション(笑)
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by xtu_ltu9981 | 2010-07-11 10:00

だぁちゃっちゃー、だぁたったー

「まるで日本を応援してなかったみたいな言い方だな」
「うーん。確かにオランダ戦はオランダを応援するつもりだったけど、やっぱり日本を応援したよ」
「けど君はさっき、日本が負けてくれてよかった、と言ったじゃないか」
「そう。僕が日本を応援してたのはコミュニティとしての性なんだ。僕の本心じゃない」
「やっぱり本当は日本を応援してなかったのか」
「いや、応援してたよ。コミュニティの性としてね。もう一度言うけど、僕は日本代表が嫌いというわけじゃないんだ。日本代表のサッカーが嫌いなんだ」
「よく判らないんだが?」
「そうだな・・・日本は負けるべくして負けたんだ。もし負けるべきなのに勝ってしまったらどう思う?」
「考え方が間違っていたんだろ」
「そうだ。だからそうなると、僕が思っていたサッカーとは違うサッカーになる。日本が勝った場合のサッカーはつまらない」
「けど強いチームが勝つんじゃなくて、勝ったチームが強いんだ、って誰か偉い人が言ってただろ」
「ベッケンバウワーね」
「そうなら考え方を改めるべきなんじゃないか?ただ単に自分の考えを否定されるのが怖いだけなんじゃないか?」
「ほぉ、なかなか鋭いな。君に判りやすいように言ったのだがそれを逆手に取るとは・・・」
「どういうことだ」
「言い方を変えよう。こんな例がある。中田がローマに所属してたときの話だ」
「ほぉ」
「僕はその時ローマを応援してたんだ。監督は現イングランド監督のカペッロで、バティやトッティの個人技に頼るサッカーを展開していた。それでローマは優勝した」
「強かったんだね」
「うん、強かった。その後中田が移籍した瞬間にローマが嫌いになった。その後もローマは強かったけど、嫌いになったんだ」
「それがなんだ?」
「僕が日本代表に抱いてた感情もそうだ。日本というコミュニティにいるから日本を応援してしまうけど、もしそのコミュニティ性がなくなったら僕は絶対日本を応援しないよ。日本は負けるべきだ、と連呼していたはずさ」
「ふむ」
「勝ったチームが強いのは確かだろう。だけどそれは応援する理由にならないさ。僕には好きなサッカーがあって、それは今回のワールドカップで言えばスペインだったりドイツだったりが魅せてくれるけど、そういうチームに勝って欲しいんだ。もし日本が勝ったら僕はコミュニティの性として嬉しいだろうけど、一サッカーファンとしてはとても悲しい。こんなので勝てるスポーツなんて見る価値がない、と思うだろう」
「だから君は日本が負けてホッとしてるのか」
「そう、日本代表を応援したのはコミュニティとしての性だ。逆に日本代表は負けるべきだ、と考えたのは一サッカーファンとしての性だ」
「君の言いたいことがだんだん判って来たぞ。要するに日本のサッカーはつまらないってことだな」
「勝ったチームが強いのは大いに結構。元よりそうあるべきだ。だけどサポーターってのは強いチームを応援するんじゃなくて、勝って欲しいチームを応援するもんだろ。だから日本が勝てば悲しかったに違いないさ。こんなつまらないサッカーが勝つなんて僕のサッカー美学に反するってね。だけど勝って欲しかったのは何でだと思う?」
「さっきから言ってるコミュニティ性じゃないのか?」
「君は賢明だね。そう、コミュニティ性さ。愛国心とかそんなやつさ。僕もそういうものを持ってるんだ」
「だから何?」
「・・・君はそのことを最初に怒ってたんじゃないのか!」
「そうだっけ?」
「・・・はぁ、まぁいいや。ベッケンバウワーと同時代に活躍したクライフは、ワールドカップ優勝と最優秀選手賞ならどっちが欲しいかという質問にこう答えた」
「うん?」
「最優秀選手賞の方が欲しい。ワールドカップの優勝チームは魅力的だとは限らないけど、最優秀選手賞は世界一魅力的な選手に贈られる賞だから。ってね」
「もういいよ、その話はさ。判ったから」
「まぁ聞けって。要するに僕が言いたいことはそういうことなんだ」
「もういいって」
「サッカーファンとしての僕は魅力的なチームに勝って欲しいだけなんだ。その思いには結果なんて関係ないんだよ」



というような話をすでにこのワールドカップ期間中に何回しただろうか。
きっと3~4回程度だろう。
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by xtu_ltu9981 | 2010-07-01 07:47

だっだー、だらだらだっだー

イングランドの完成度が低かったのは確かだ。
カペッロ監督は元々ああいった、最後には個人技に頼るサッカー、をするから完成度は高いといえば高かったのかもしれない。
だが、傍から見る限りだと、スピーディーさはなかったし、何よりスムーズさがなかった。
ジェラードの動きがその象徴と言える。彼の動きは中途半端だった。
彼の動きがイングランドの連携を崩していたのか、連携が崩れていたから彼が彼らしい動きをできなかったのかは判らないが、とにかく連携はなかった。
それでも、やはりイングランドだ、と言わせる時間帯もあった。
誤審がどうとか言う話が少ししか挙がらないのは、ドイツが圧倒的に強かったからだと思う。
イングランドは本調子ではなかったし、ジャッジはたまたまドイツ有利に働いたけど、それを除いてもドイツが圧倒的に強かったのだ。
その後に行われたアルゼンチンvsメキシコもアルゼンチンの強さを引き立たせた試合になった。
これもまたミスジャッジではあるが、アルゼンチンに有利な判定が行われてアルゼンチンが先制点を挙げる。
だがそれを抜きにしても、やはりアルゼンチンが強かった。
このワールドカップで一番何かを期待させるメッシと、イグアインの圧倒的な決定力とずる賢さ、テベスの技術にベンチにいるミリートやらなんやら、攻撃陣の名前を挙げればキリがない。
皆、名前を見るだけでワクワクさせるし、しかも調子がいいと見える。
アルゼンチンもドイツも、攻撃に厚みがある、という表現が正しいのかもしれない。
攻め始めると、画面を見るだけで色々な可能性を思わせる。
縦に走る選手、斜めに走る選手、オーバーラップする選手、全ての選手が緩急をつけてスペースを作り、全ての動作が連動している。
まだ調子を上げてくるチームがあるだろうから、優勝はここだ、と推測することは難しい。
もちろん言い切ることなど尚更ありえない。
しかし、現在の仕上がりで言えばドイツとアルゼンチンが抜き出ていると思う。
それに両チームとも選手が若い。
ワールドカップは中4~5日しか空かないハードスケジュールである。
それを戦い抜くにはやはり若い方が有利だ。
そんな両チームが準々決勝でぶつかる。
このワールドカップきっての好カードなのは間違いない。
以前に書いたかもしれないが、ワールドカップは決勝よりも準決勝、準々決勝の方が面白い。
それは見る側もやる側も、精神的な豊かさが原因としてあるのだと思う。
このカードは見逃せない。
・・・とかいいながらバイトなんだが?
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by xtu_ltu9981 | 2010-06-29 02:40

たらたらー、たーらたー

中田がいなくなってからの日本代表は信じられないほどつまらなかった。
中田はボールを持つだけで期待をさせた。
彼の卓越した戦術眼とパス精度は、当時の世界を見てもトップクラスだった。
いや、当時、彼を越える司令塔はジダンとルイ・コスタくらいだったと僕は思っている。
その頃からも少し話題に登っていたが、日本代表は中田に頼りすぎた。
日本の攻撃全てが中田を中心に回っていたのは確かだった。
監督の采配問題とかもあっただろうから、一つの理由に収めることはナンセンスだけど、司令塔を失った日本は色々な音楽を同時に再生しているみたいにチグハグだった。
どの選手も全く違うテンポでプレイしていたし、何のまとまりも持っていなかった。
そのまとまりをデンマーク戦で日本は少し見せた。
まだ足りないが、0と1の差は言うまでもなく大きい。
カメルーン戦はカメルーンがへぼかった。確かに本田、松井、大久保が常にプレッシャーをかけていたからの得点ではあったが、拡散していた。
オランダ戦はオランダの圧倒的な力に竦んでいた。といっても僕は後半を見ていないので、前半だけでの評価である。後半は良かったと聞いているから、もしかしたらその辺りから、一つのテンポ、を見つけたのかもしれない。
日本は、一定のテンポ、を見つけていなかった。
ある人はそういったことを、チームの団結力、結束力、意思疎通、とかそういった言葉を使うだろう。
イングランドも予選最後の対スロベニア後半まで、何一つとして彼らのテンポを見ることはできなかった。
点の取り方が判らなかったに違いない。
調子の良いチーム、勝てるチーム、というのは元から点の取り方を知っているわけではない。
そういったことは、勝ちながら、点を取りながら、自然に見極めていくものだ。
結局イングランドは1点しか取らなかったが、いつ追加点をとってもおかしくはなかった。前半に決めた1点が、カペッロ監督のつまらない戦い方に一つのテンポをもたらしたように見えた。
中田がいた頃の日本は簡単だった。まず中田にボールを渡し、攻撃を組み立てる。
今回のイタリアもだ。ずっとぐだぐだな戦いを続けたイタリアは最後の最後に負傷中のピルロを投入した。
それからのイタリアは本当にイタリアだった。ピルロは常に首を動かし周囲を確認していたし、ボールを貰うと決定的なパスを出せた。だから自然とボールはピルロに集まってくる。イタリアが、攻撃の起点、を見つけた瞬間だった。
司令塔がいるチームはそういった、一定のテンポ、を持ちやすい。司令塔がそのテンポを提供できるからだ。
今回の日本にそういった選手はいない。
だからチーム全体が、そのテンポを見つけなければならない。
音楽で言えば、ベースもドラムもなしで一斉に楽器を奏でるようなものだ。
もちろん最初はテンポが合わない。
一定のテンポを得ようとして、ある人はテンポを下げるだろうし、ある人はテンポを上げるだろう。
皆が試行錯誤するからチグハグになる。
だが、そういった試行錯誤の結果、やっと日本に一定のテンポが見え始めている。
次のパラグアイ戦の日本はデンマーク戦よりもっと完成度が高いだろう。
もしそこで勝てば、また日本の完成度は高くなるはずだ。
相手ももちろん強豪で、勝てる、なんてことを言えるはずがない。
だが、今の日本は成長する様が生生と見えて面白いし、だから勝って欲しい。
今まで中田頼りだった日本のサッカーに、新たな旋律を見せて欲しい。

トルシエ時代はトルシエが日本代表に一つのテンポを与えた。
そのテンポに従うことを強制した。
ジーコ時代は中田が日本代表に一つのテンポを与えた。
そのテンポに従うことが、勝ちへの近道だった。
では、少し前までの日本はどうだろう。
誰もテンポを与えなかった。
皆、自分のやりたいようにプレイしていた。
それなのにどうしてあんなにも、つまらない試合だったのだろう。
どうして制約も何もないプレイが、あんなに閉塞感溢れたプレイだったのだろう。
僕が見たのは自由ではなく、エゴイズムだった。
エゴや欲求に支配された、どこにも意思を感じることができない、不自由さだった。
今の日本は一つのテンポを見つけ始めている。
そのテンポに縛られることは言葉上、不自由、に見えるかもしれない。
だが、それを自ら選択するところに自由はあるのだ。
真の自由を手に入れたチームは、必ず強い。




しかし、恥ずかしい話だが、僕は日本代表をバカにしていた。
カメルーンに勝ったときも思ったし、デンマークを破って決勝Tに上がったときも思ったことだ。
試合後、岡田監督や選手たちのインタビューを見ながら、泣くのではないだろうか、と思ったのだ。
しかし彼らにそんな仕草を見なかった。
彼らは次を見ていたし、喜びを感じながら、満足を得ていなかった。
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by xtu_ltu9981 | 2010-06-25 16:28