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批判哲学

僕のバイト先は通常バイト二人で仕事を行う。
二人だけで仕事を行うため交流も多くなる。
特に深夜の場合はその傾向が強い。仕事量は他の時間帯と比べて少ないわけではなく
単純に時間が長いため密度が小さいのだ。
僕は全体的にダレとでも仲が良いと言えるだろうし、発言力などに置いても強い方と言えるだろう。
まぁそんなことはどうでもいい。
とりあえず、二人だけで仕事をし、会話する時間が長い。
深夜は特にその傾向が強い。
その中でも僕とM氏は別段に会話量が多い。
勤務時間が終わって、退勤しても事務室で話し続ける。
そのせいで早朝の方々から邪魔ということなのだろう。そういったことで僕たちは評価が悪い。

M氏との話題は哲学的なことが多い。
今日は批判哲学について話し合った。
僕は知らないが、M氏曰くドイツ哲学者のニーチェが論じた内容らしい。
なかなか興味深い。
M氏自身はニーチェ信者である。「ニーチェが生き返るのにオレの命が必要なら死んでやる」と言うほどである。
その真偽はさておき、ニーチェ信者である。

全ては批判から入る。

というのがニーチェ論(仮名)である。
僕は前々から
批判、否定は自分の意見を持つ第一歩。もしくは最も楽な意見の持ち方。
とM氏に言っていた。
まぁ大体言ってることは同じではあるが、ニーチェ論はそれをもっと掘り下げた論である。

M氏が例えとして批判論を展開する。
「オレはクール(タバコ)を吸ってるけど、オマエはアカマル(タバコ)を吸ってる。オレがクールを吸ってる理由はクールが好きなんじゃなくてアカマルが嫌いだからだ」
なるほど。と思えた。
理に適ってる。
まぁもう少し大雑把な例えをすると、プラスとマイナスがあるんじゃなくて、マイナスとマイナスじゃない、がある。ということである。

「オレがニーチェの文読んだときは、1年くらい狂った。ていうか狂わんやつはおらんとおもう」
それほどニーチェの文とは理に適っていて、批判のしようがなく、自分を全て否定された感覚に陥るのだという。
「理性ってのは防衛反応なんですよ。自分を保つために理性というものがあって、その理性は自分を守るため、保つために全てを否定する。否定というリアクションを取ることによって変化、違い、不一致、違和感を感じて自分を保つ。だから批判を肯定?すると論じた文章を読んで違和感を感じることは難しい。そうすると自分を保つことが難しくなり狂ってしまう感覚に陥る。そんなもんじゃないでしょうか」「違和感を感じない文章や表現、作品って真実を語っているのかもしれないですね」
僕はそう返してみた。

ニーチェの論文、哲学書を読んでみたいという気持ちは結局あまり生まれなかった。
事実は何も生み出さないし、何も壊さない。
事実を比喩に包んでいるほうがおもしろさが判りやすいと僕は思っている。
ただ、言葉や言語という道具を使って事実を書くことが可能なのかどうかは怪しい。
そういった表現、アピールするといった視点からは読んでもいい。
ニーチェを絶賛、もしくはアピールしていたM氏が最後に「オマエはニーチェを読んでも何も思わんかもしれん。哲学書読むんならニーチェじゃなくてカントの方がええかもな」と言った。

批判から入るのは最も楽な思考方法である。
全てを否定し、否定したことを否定し、否定を連鎖させる。
そして最終的に否定できなかったところを残す。
そうすると最もシンプルなロジックが完成するかもしれない。
単純に言えば、消去法である。
ただ、この世に否定できないものなどあるのかは知らない。
by xtu_ltu9981 | 2008-09-26 10:08 | 徒然なる希望と絶望


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