ちゃーたった、ちゃーらった

10/1にイタリアに出発する。
18時半ごろローマにあるフィウミチーノ空港に到着予定だ。
滞在先はアレッツォという町で、ローマから北に100kmほど行った場所にある。
10/1中にアレッツォに着くようにすると、とても遅い時間になるので先方への迷惑も考えローマで一泊する予定だ。



僕はイタリアに何をしに行くのだろうか?
果たして、その答えは単純ではない。
僕もよく判らないからだ。
ただ、海外に行くべきだ、と思っただけである。
しかし、やはりある程度短い言葉で僕の留学目的を説明してみたい。
そこで思いついた言葉がある。

僕はイタリアにイタリアを見に行くわけではない。
僕はイタリアに日本を見に行くのだ。

どうしてイタリアはこうなんだ!
どうしてイタリア人は!
なんというイタリア人!
そういった、イタリアに対する思惟が留学中は生まれることかと思う。
まだ留学していない今ですら、郵便に関することで頭を痛めているし(イタリア国内での郵便が遅い)、イタリア領事館の対応の適当さに少し呆れている。
そういった、イタリアに対する思惟、というのはなぜ生まれるのだろうか?
郵便や生き方に限らず、様々なことでイタリアに対する思惟は生まれるだろうけど、どの対象にも絶対に必要なものがある。
それは、僕の中にある日本、だ。
僕の中に日本としての思惟、もしくは常識といったものがなければイタリアに対する思惟は生まれない。

僕はイタリアにイタリアを見に行くのではない。
僕はイタリアに日本を見に行くのだ。
僕は、イタリアでイタリアを感じるときに現れる、僕の常識(日本)、を知りたいんだ。
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by xtu_ltu9981 | 2010-09-16 18:26


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