最近哲学書を読んでいる。
なんという難しさ。 ていうかなんなのこれ、難しすぎるんですけどwwwww 哲学という学問を舐めてました。すいません。 ただ、難しいというのは内容ではなくて書き方が難しいせいで難しく感じるという点がかなり大きい。 今読んでるのが『純粋理性批判 上』っていうカント(200~300年前のドイツ哲学者)の論文をそのまま和訳しているやつなんだが パネェ! 論文ってこんなのなのか・・・ カント氏もよくやるわ・・・日本語の直訳で文庫2000Pくらいの論文をダレが読むんだ、と。 まぁ読まれてるから残ってるわけですが。 論文の書き方を学ぶのが第一の目的だったんだが 内容はひじょーにオモシロイ。 まだ10%程度しか読んでないから内容は書かないでおこう。 これを読む前に荘子(紀元前中国思想家)も読んだんだが 荘子はあくまで思想で、カントは哲学だと感じた。 漢文と和訳両方載せてるのを僕は読んだんだけど、案外読みやすかった。 暇あったら読んでみても損しない。 疑問、懐疑というものがある。 この発生を論的に考えると、一部分に辿りつく。 永遠平和とかよく聞くけど 僕はこういう言葉を見ると反抗したくなるし、逆の言葉を見るとまた反抗したくなる。 平和に関してはまだ考えていない。 考えるべきかもしれない。 戦争をしてようが何をしてようが想定できる範囲ならどうせ平和だ。 平和じゃなくなったらどうなるんだろうか。 というより平和平和とかいってるが、何を持って平和というんだ。 というより平和って何なんだって考えてる俺は何なんだ。 というより懐疑に疑問を持つ俺は何なんだ。 というよりオレは頭の中で疑問を言葉に変換しているが元々この質問自体を知っているはずなんだ。 疑問ってどこから生まれるんだ。 大抵は四則演算の和に基づくんではなかろうか。 四則演算の和には願望、嫉妬などが含まれると想定するが、経験の和集合にしか過ぎないのではないか。 1+a=経験的欲求。aが疑問であり、aを求めると論的証明となるんではなかろうか。 ここで1とは何を指すのか、ケースバイケースで仮定を変えるのはよくあるが この場合は自分を指す。 デカルト(400年前のフランス哲学者「我思う、故に我あり」の人)の信念を元に自分という仮定を置くが、デカルトの信念自体、論理の飛躍が見られる。だから信念と言ってるわけだが。 なかなか主観を客観で捕らえるのは難しい。 客観的に考えるなどといいながら結局は主観で考えるしかない。 他者の思考が自分の思考より早く在るなんてことはない。 他者の思考を認識するのはまず自分であり、そのとき始めてその他者の思考が在ると判るのである。 これは僕が認識できる限りの人間に該当する。 僕の認識速度は世界一だが、他者自体の主観認識も世界一の速度を持つ。 デカルトの信念「我思う、故に我あり」を元に考えるとこうなるのである。 時空を四次元の連続体と考えるのではなく、認識する方法と考えたカントはなかなか上手い。 なんか久しぶりにおもしろいと素で感じたかもしれない。 理性が「おもしろいと思っている振りをしろ」とはよく感じるが もしかしたら今回はもうちょっとおもしろいかもしれない。
by xtu_ltu9981
| 2008-11-22 15:50
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